PSPゲームソフト「FINAL FANASY 零式」の主題歌として「ゼロ」を楽曲提供したBUMP OF CHICKEN。彼らは自他共に見た目る“ゲーム好き”のバンドとして有名です。もちろん不朽のRPGシリーズである「FINAL FANTASY」もメンバーの間で流行したゲームでした。今回はバンプのメンバーのFFに関するエピソードを紹介します。(ゼロネタばかりですみません…これで最後です!)
FINAL FANTASY × 藤原基央
FFシリーズを最初に始めたのは藤原さんのお母さんでした(!)FF1をやっているお母さんを見て、幼少期の基央さんもやってみたくなったそうです。藤原さんのお母さんは、「グングニル」について調べてくれたり、藤原さんのマニアックな気質というのはお母さん譲りなのかもしれません。
藤原:(最初にプレイしたのは)僕は『FFI』でしたね、ファミコンの。小学2年生のときに母がやっていて、よくわからないけど僕もやってみようと思ったんです。
ちなみに藤原さんはFFシリーズのⅠからⅩまでの10作品を全クリしています。「Ⅹ-2」以降の作品は忙しくてしていないものの、「FF ⅩⅢ 」や「FF Ⅻ」のソフトは購入はしていて自宅に保管してあるそうです。
FF1は藤原さんにとって少し難しく、FF2で多様なキャラが登場することに魅了された藤原さん。「ゲームは1日30分」という家のルールの中でちょびちょび進めていきました。FF3では本人曰く「6回以上クリア」したそうです(!)一番仲の良かった同級生とFF3のBGMを口ずさみながら下校していました。
FF1〜3は初代ファミコンのソフトでしたが、藤原さんの家はスーファミ(スーパーファミコン)をしばらく購入してもらえず、友人にスーファミを借りてまで次作のFF4をやりました。すごい…執念ですね(笑)
チャマと同居して一緒にやたFF8
藤原さんは高校中退後、上京して一人暮らししていました。そこに調理師免許を取得した直井さんと一緒に暮らすことになります。同居時代にやったのがFF8でした。すでにハードはPlayStationになっていますね。
フェイ・ウォンさんが歌う主題歌「eyes on me」を耳コピしたりしていました。
藤原 – ギター弾いて歌ったりして、自分たちでも(笑)。耳コピーして歌ったりとかもしてね。(中略)バカだからね、「俺たちが主題歌とかやれないかな?」みたいな。(中略)そしたらこういう風なシーンで流れたら嬉しいね、おか。こんなんがいいね、あんなんがいいねとか。
ROCKIN’ ON JAPAN Vol.389
藤原 – FF Ⅷの時に公園で朝まで語り明かしたことが、今それがほんとになってるときでしょ、みたいな。
ROCKIN’ ON JAPAN Vol.389
思春期に思い描いた夢物語が、大人になって叶うというのは本当に素敵ですね。
FINAL FANTASY x 増川弘明
増川さんも藤原さん、直井さん同様にFF3をはじめ、数多くのFFシリーズをクリアしています。
増川:僕は素早さが高いキャラが昔からすごく好きで、シーフとか、狩人とか、忍者もそうですね。シーフかな、『III』クリアしたときもいましたし。
増川さんは近所のFF4以降は近所の中のいいお友達の家にやりに行ったりしていたそうです。
FINAL FANTASY × 直井由文
藤原さんと同居している時に発売されたFF8。藤原さんが主にプレイするのをいつも隣で見ていました。FF8で藤原さんが弱い敵から毎回魔法をドロー(奪う)しているのをみて(普通なら戦わずに逃げるか、1発で倒してしまう)、「敵が哀れでならなかったよ」と事あるごとにネタにしているそうです。
直井:僕、ドロー(『VIII』)をし忘れて、藤君だけ『リヴァイアサン』持ってたんです。いままでどんなザコキャラからも絶対ドロー忘れたことないのに、ノーグっていう学園の地下で戦う敵からだけ忘れて、『リヴァイアサン』が無い状態で行くのか……って呆然としたことがありましたね。
増川:けっこう取り返しつかないことありますからね。
直井:でも今僕が言ったのは最悪の場合ですね。『XIII』はちゃんと「S」でクリアして、トロフィーをフルコンプしました。
私もFF8は体験版しかプレイした記憶がないのでよくわかりません(笑)ただFF8には藤原さん同様思い入れが大きいみたいです。
いつだかのTGSでも「零式 HD」をプレイしている様子をTwitterにあげていました。
因みに僕はTGSでFF零式HDなう pic.twitter.com/69yxUZarqr
— CHAMA (@boc_chama) 2014年9月19日
FINAL FANTASY × 升秀夫
バンプの中で唯一「ゲームをあまりやらない」と公言しているドラムの升さん。彼も小学生の時に藤原さんからFF3を借りてプレイしています。唯一全クリしたFF作品です。
藤原 – 僕が升くんに貸した「FINAL FANTASY Ⅲ」の中では、升くんを創造主として、僕たちは光の戦士だったらしいです。
bridge vol.69
升さんは登場キャラにメンバー全員の名前をつけてプレイしてました。
藤原:たしか苗字ですよね、全員苗字。
升:自分も苗字です(笑)
藤原:殺伐としてるなぁ。
升:『FF』感出るかなぁと思って。
そこで疑問が浮かびます。藤原さんと3人は小学校が別で中学校で再会していたはずなのですが、藤原さんが升さんにFF3を貸していたとすると、小学校時代も交流はあったようですね。6年間全く交流がなかった、というわけではないようです。個人的に、私も幼稚園が一緒で小学校が別、中学で再会する友人がいました。ただ狭い地域なので毎日ではないものの、一緒に遊んだことはありました。そんな感じなのかもしれませんね。
SQUARE ENIX × BUMP OF CHICKEN
スクエニとの出会い
FFシリーズの制作会社であるスクエニとバンプは零式発売の6年も前から関係が生まれていました。2005年に上映されたCG映画「FINAL FANTASY ADVENT CHILDREN」のプレミアム試写会にメンバー全員が招待されたことが交流のきっかけです。そこでFFプロデューサーの野村哲也氏と出会います。
藤原 – (当時)野村さんも僕らの曲を聴いてくれていたそうで、「何か機会があったらご一緒できたらいいですね」って言っていただけたんです。
藤原さんの中のユグドラシルやグングニルといった北欧神話のコンセプトはFFシリーズから由来していると思います。野村さんはバンプの音楽の中で共通する世界観に何か惹かれるものがあったようです。
ドット絵のコラボも!
直井:このプロジェクトが始まる前から、ずっと「これになりたい」って夢があったんです。『FF』が好きな方だったら一度は空想するんじゃないかなと思うんですが。それで伝えるだけ伝えてみて、断られたらそれはそれで構わないつもりでスクウェア・エニックスさんにお願いしたら、1発目にこれが上がってきたんですよ。ほかにも仲間同士になっていたり、0組(クラスゼロ)の制服を着せていただいたり、もういろんなバージョンを作っていただきました。で、調子に乗って「瀕死のバージョンも作ってください」って注文もしてしまって(笑) もうぜんぶ快くやってくださいました。
増川:本当にもう、何回かお願いしましたね。「じゃあこれも!」って。
確かにFFのドット絵は憧れますね(笑)このドット絵はツアーTシャツやピンバッジになって販売されていました。
仕事で自分たちが好きなもに携わることができること、そして自分の力(作品)が好きなものに必要とされることはとても嬉しいことです。ゼロを聴くと、自分たちの夢を叶えたバンプの心の嬉しさが伝わってきますね。
以上、ファイナルファンタジーとBUMP OF CHIKCENのエピソードを紹介しました。