楽曲解説:ノーヒットノーラン vol.1 藤原のスポーツ経験とタイトルについて 歌詞の意味

ノーヒットノーラン:基本情報作詞作曲:藤原基央
作曲時期:1998年秋-冬
録音時期:1998年12月
録音場所:Bazooka Studio 東中野
リリース:1999年3月12日 「FLAME VEIN」
ライブ初披露:1999年3月22日以降

「ノーヒットノーラン」はBUMP OF CHICKENの『FLAME VEIN』に収録されているアルバム曲です。

これまで全く語られてこなかった謎の多い曲で、メンバーが言及している部分はごくわずかです。今回はこの謎の多いノーヒットノーランについて紹介します。



『FLAME VEIN』で一番新しい曲

「FLAME VEIN」成立時期DANNY (1995-96年)
ガラスのブルース (1995-96年)
くだらない唄 (1996-97年)
アルエ/ナイフ (1997年)
リトルブレイバー (1997-98年)
とっておきの唄 (1998年)
ノーヒットノーラン (1998年)

1st Album『FLAME VEIN』は1998年12月頃に当時ライブで演奏していた楽曲の中から日本語詞だけを選んで録音されました。

藤原 – 曲は当時あったもので、一番新しかった曲が“ノーヒット・ノーラン”

直井 – たしかそれはほとんど練習はしてない。……今考えるとすげーなー

出典:BUMP OF CHICKEN ヒストリーブック

2日間でレコーディングをしなければならず、バンドとしての練習はほとんどしないまま勢いよくレコーディングされた音源が出来上がりました。

ノーヒットノーランの意味を勘違いする藤原

引用:Wikipedia – ノーヒット・ノーラン
野球・ソフトボールの試合において、投手が相手チームに安打を(日本では得点も)許さずに勝利することを言う。

ノーヒットノーラン  0:21〜
頼むぜ我らがスラッガー
今日はどうした未だノーヒットノーラン

引用元:ノーヒットノーラン / 作詞作曲 藤原基央 (1999年)

この曲のタイトル「ノーヒットノーラン」の使われ方は少し間違っています。ノーヒットノーランはピッチャーが相手に1本もヒットを許さない名誉な記録です。

この曲の歌詞の主人公(スラッガー)はバッターなので<未だノーヒットノーラン>というのは意味をなしません。自分のチームが”ノーヒットノーラン状態で負けている”という解釈もできなくはないですが、野球経験者からすると違和感が残ります。

藤原さんにとって「ノーヒット」も「ノーヒットノーラン」のどちらでもよく、深いこだわりがなかったのだと想像されます。

藤原基央の詞ハメ藤原は語感をよくしたり、メロディーに歌詞を当てはめる”詞ハメ”を行う時に削ったり付け足すことがある。「ノーヒットノーラン」もそれによって生まれた可能性が高い

藤原はなぜ「ノーヒットノーラン」のタイトルをつけたのか?

細かいルールまでは認知していないにも関わらず、なぜ「ノーヒットノーラン」なんてタイトルをつけたのでしょうか?

藤原基央さんがノーヒットノーランを作曲したのは1998年冬です。

・・・ピンと来る方も多いと思います

1998年全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)決勝戦、横浜高校対京都成章高校の試合で横浜高校の”怪物” 松坂大輔投手が相手をノーヒットノーラン で封じ優勝を果たした年です。

1998年11月20日、日本プロ野球機構によるドラフト会議の前後になるとメディアは連日松坂のニュースを取り上げました。連日連夜、ニュース番組で決勝戦のノーヒットノーランのエピソードが繰り返し流れていた頃です。

1998年11月は『FLAME VEIN』制作の1ヶ月前ですので藤原さんが「ノーヒットノーラン」を作曲時期と重なります。もしかしたら松坂大輔のノーヒットノーランという言葉が耳に残ってこの曲を書いたのかもしれませんね。

野球にさほど興味ない藤原が「ノーヒットノーラン」のタイトルをつけるには外的要因が必須であり、あながちこの推測は間違いではないかもしれません。



『FLAME VEIN』における「ノーヒットノーラン 」の意義 – 日本語詞宣言

BUMP OF CHIKENのファーストアルバムは当初、

・4曲で構成するミニアルバム
・ライブで演奏していた曲を録音する

というコンセプトで制作されました。4曲とは「とっておきの唄」「くだらない唄」「ガラスのブルース」「ノーヒットノーラン」です。

「ノーヒットノーラン」はライブ未発表の新曲でした。その一方で当時は「18 years story」「Glorious」など多くの英語詞未発表曲を演奏しており、英語詞曲のデモテープの販売もしています。

ライブで演奏してきた英語詞曲を封印し、新しい日本語詞曲「ノーヒットノーラン 」を(しかも練習時間があまりないまま)録音するということに対して、「自分達は日本語詞で活動していく」という強い意志を読み取ることができます。

1999年、初演奏でイントロを弾くと観客から歓声と拍手が湧き起こる

千葉LOOKの外観  Photo embedded from Google Map

「ノーヒットノーラン 」は当時ライブで披露されたことはなく、「未発表新曲」としてCDに収録された初めてのバンド楽曲でした。

1999年3月22日千葉LOOKにて、『FLAME VEIN』発売記念ライブで初披露されます。イントロを奏でた瞬間にファンからは大きな歓声と拍手が上がりました。

新曲はライブで先に披露してきたBUMP OF CHICKEN。ファンの「この曲やるのか!」という反応が素直に嬉しかったようです。

藤原基央のスポーツ経験と運動神経

サッカー(FC佐倉所属)

藤原基央さんは小学生の頃、FC佐倉というサッカーチームに入っていました(背番号は42番号)。直井由文さんも所属していたという情報があります(背番号は56番)。

2002年8月の対バンツアー「BAUXiTE page 1」を取材したSSTVの映像ではメンバーがボール回しをしている様子が映ります。そこでは藤原さんは経験者っぽい蹴り方をしていたので、そこそこボールを扱えるように見えます。

野球

藤原さんは小学生の時に近所の公園で野球をすることがありました。

その時のエピソードとして、「当時好きだった女の子とその友達がお弁当を持って外野のあたりに座って食べてると見事ホームランを打ち放ち、その打球は好きな女の子が食べている弁当箱に入った」というものがあります。

ちょっと胡散臭いですが、2006年頃のインタビューで本人が述べています。

「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2001」の出演者楽屋のある広場でメンバー4人と野球をやっている映像が残っています。

バスケットボール

中学生の時にBUMP OF CHICKENの4人はバスケ部に入部します。補欠だったため体育倉庫の扉を閉めて電気を消して遊ぶ「暗闇ごっこ」がメンバーの絆を深めました。唯一公式戦に出たことのある升さんは、出た瞬間に自分達の陣地のゴールにシュートを放ったためすぐに交代させられました。

藤原さんのバスケのエピソードは特に残っていません。

事務所の先輩であるミスチルの桜井さんは大のサッカー好きとして有名で、フットサルチームを主催するなど運動神経の素晴らしさは知れ渡っていますが、藤原さんの運動に関しては謎に包まれています。ツアー前に体力をつけるためにランニングをしたりはするようですね。

ライブ演奏解説

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「ノーヒットノーラン」はインディーズ時代〜2004年までの初期全ツアーで演奏されています。その後10年間のブランクがあり、2014年「WILLPOLIS 2014」のアンコール曲として演奏されました。

幻の増川弘明のアレンジ

1999〜2000年のライブでは、2番Aメロからの増川弘明さんのギターパートは原曲にはないパワーコードを弾いていました。セオリーなオクターブ奏法ではなくパワーコードでリフを弾く独特なスタイルだったため、増川さん自身の考案と考えられます。

ギターソロも原曲ではない増川さんオリジナルソロが演奏されていました。2001年のライブ以降〜2014年まで原曲通りに弾くように戻っています。

以上、簡単ですがノーヒットノーランについて紹介しました。