インディーズ期コラムメンバー全般・バンド活動升秀夫増川弘明直井由文藤原基央

メンバー vol.1 それぞれのアルバイト

インディーズ期

BUMP OF CHICKENのメンバーのアルバイト歴について紹介します。国民的アーティストとなったBUMP OF CHICKENの4人も、メジャーデビューするまでは普通の若者でした。バンドで生計を立てるまでにしてきたアルバイトを紹介します。

 

藤原基央

高校退学後:喫茶店?ファミレス?

上京後:派遣社員、アクセサリーやぬいぐるみの露天商、土方、ビル清掃、カフェ、バーテンダー、八百屋

藤原基央さんは日の出学園高等部を1年生秋に退学してから、東京で一人暮らしをはじめるまでに千葉のファミレスで働いていました。ファミレスや喫茶店などいくつか説はありますが、少なくともそのうちの一つは千葉市にあるライブハウス千葉LOOK前のファミレスであることがわかっています。2006年千葉LOOKでPOLYSICSの10周年ライブにてボーカルのハヤシさんが「10年前に千葉LOOK前のファミレスで食事していた時に、バンプオブチキンの藤原くんが店員として働いていて『あ!POLYSICSのハヤシさんですよね!?』と声をかけられた」「この10年で遠い存在になった(笑)」というMCを残しています。

その後は藤原基央 vol.1 – 上京の時の話-の記事でも書きましたが、東京に進出しぬいぐるみやアクセサリーの露天商、ビル清掃などをしています。2000年の『THE LIVING DEAD』発売時のラジオ出演の際に、「八百屋で働いている」と言っていており、これが最後のアルバイトになったと推測されます。個別のバイトでのエピソードは別記事にて書く予定です。

直井由文

・海の家で住み込みのアルバイト
・海浜幕張駅付近のレストランの調理師
・下北沢のカフェ&バーの調理師
・コンビニ(LAWSON)の夜勤
・新宿のビアガーデン

ベーシストの直井さんは、16歳の夏休みに住み込みで海の家のアルバイトをしていました。調理師専門学校1年生の時です。海の家では水着のお姉さんにからかわれて、それはそれは楽しかったそうです(PONTSUKA!2015年7月12日より)。

その後、海浜幕張にあるレストランで働いていました。2006年1月29日、全国ツアー「run rabbit run」幕張メッセ公演に当時の店長を招待しており、「当時はここ(幕張メッセ)でライブできるようになるとは思ってもなかった」とMCしています。千葉県内にあるので、おそらく18-19歳の調理師専門学校に通ってまだ佐倉の実家に住んでいた頃のアルバイトです。

東京進出後、直井さんは藤原さんと同居します。二人は同じ下北沢のカフェ&バー(昼はカフェで夜はバーになる)で働いていました。家も一緒、バイト先も一緒というのはふたりの仲の良さが窺い知れますね。

そしてメジャーデビュー後も直井さんはアルバイトをしていました。実はメジャーデビュー後に少しお金が入ったものの、「欲しいものを買っていたら金欠になった」(本人談)直井さんはメンバーに隠れて新宿のビアガーデンで働いていました。「天体観測」を発売した後まで働いていたらしく、同曲がオリコンチャートを駆け上がっていた一方でそのプレイヤーがアルバイトをしていたとは、自由奔放な直井さんらしいですね。

増川弘明

・塾講師

増川さんは大学生の頃、塾で講師をしていたそうです。担当教科が英語という以外は詳しいことはわかっていません。

升秀夫

・塾講師

ドラムの升さんも、増川さんと同様塾講師をしていたそうです。場所は京成志津駅前の個人塾だそうです。しっかり者の升さんは、教え方や指導もきちっとしてそうなイメージですね。当時の生徒さんたちは、教わっていた先生がバンプオブチキンのドラムだったということをどう思っているのでしょうか。

 

さて、以上バンプのメンバーのアルバイト経歴でした。今は普通の人よりも収入を得ている彼らですが、そんな彼らもアルバイトをしてバンド費用に充てていたんですね。

 

Photo by Môsieur J. [version 3.0b]