楽曲解説:ハンマーソングと痛みの塔 vol.1 – 自宅マンションでのソロライブ –

「ハンマーソングと痛みの塔」はBUMP OF CHICKEN 5枚目のアルバム「orbital period」に収録されているアルバム曲です。裏打ちのリズムと軽快なベースラインによる、ダンサブルな楽曲です。今回はこのハンマーソングと痛みの塔について解説します。

5th Album『orbital period』(TFCC-86245 /TOY’S FACTORY Inc.) 収録 M-07 「ハンマーソングと痛みの塔」




ハンマーソングと痛みの塔制作年表

ユグドラシル期 メロディとコード進行のアイデアをもつ
2006年春〜夏 藤原、曲が書けない状態が続く
8月8日 藤原、コンビニに行こうと自宅を出た時に恐怖さえ覚えるほどの赤い夕焼けを見て「真っ赤な空を見ただろうか」を書く
9月20日 1st オリジナル無声映像作品『人形劇ギルド』リリース
藤原、「ハンマーソングと痛みの塔」作曲。藤原がメンバーを呼びかけ直井、升が藤原宅に集まり、その場で熱唱する(翌日マンションの掲示板に騒音苦情の張り紙が出される・・・)。
秋〜冬 藤原、「才悩人応援歌」を書く 
11月22日 12th Maxi Single『涙のふるさと』リリース 
年末 藤原、「飴玉の唄」を書く
2007年3月 「ハンマーソングと痛みの塔」「才悩人応援歌」「飴玉の唄」のレコーディング at 一口坂スタジオ


楽曲の特徴

メジャーセブンスコードの仕様


ハンマーソングと痛みの塔ではほとんど使われてきていなかった種類のコード(DM7)が仕様されています。メジャーセブンスというのは、簡単に言えば、少しお洒落な響きのコードです。

藤原 – 今まで使ったことのないコードを使ってますし、メジャーセブンとかね。

MUSICA 2008.01

「単純に捻りのあるコードが好きじゃなかった」という藤原さんですが、この曲に関しては使用しています。また藤原さん得意のABパターン(Aメロとサビのみ)で構成されている楽曲です。

ユグドラシル期からあった断片的なアイデア

コード進行とメロディの断片的なアイデアは2003〜2004年のユグドラシル制作の頃からありました。

4th Album 「ユグドラシル」2004.08.25発売 TFCC-86171 ¥3,059(tax in)

藤原 – 歌詞はなかったですけどメロディとコード進行の弾き方っていうのは『ユグドラシル』ぐらいの時からあって、やりてえなとか思っていたんじゃないかな、多分。

excite music 「INTERVIEW with BUMP OF CHICKEN」2007

藤原 – この曲の雛形は頭の中では、確か『ユグドラシル』くらいからあったんですよね。

MUSICA 2008.01

藤原さんの中では「詞」と「音(メロディ・コード)」の両方が揃って初めて「曲を書いた」と呼ぶようにしています。そのためユグドラシルの頃に浮かんだアイデアは、陽の目を見るまで長い間眠りにつきます。

オンリーロンリーグローリー (2004年) ・・・ロストマン作詞時期 (2002年)のアイデア
夢の飼い主 (2004年) ・・・ ユグドラシルの頃 (2003年 – 2004年)のアイデア
カルマ (2005年) ・・・ユグドラシルの頃 (2003-2004年)のアイデア
花の名 (2007年) の一部歌詞・・・スノースマイルの頃 (2002年9月 – 12月) から携帯に保存
ハンマーソングと痛みの塔 (2007年) ・・ユグドラシルの頃(2003-2004年)のアイデア




大声で歌いながら作曲

人形劇ギルドの打ち合わせや涙のふるさとのPV撮影の時期に、藤原さんは自宅で大声で歌いながら書き上げました。ハンマーソングと痛みの塔以外にもダイヤモンドやembraceもそのような方法で書いてきたそうです。

藤原 – “ハンマーソングと痛みの塔”は結構シャウトしてたから、普通に。そういう意味では珍しい作り方だったかもしれない 

MUSICA 2008.01 

大声で歌い上げて書いた曲
・ダイヤモンド
・embrace
・プラネタリウム
・ハンマーソングと痛みの塔

デタラメ英語でメロディをなぞる

藤原 – この曲はほとんど叫んでるだけというか感じで作ってて、最初はデタラメ英語で歌ってたような感じでしたから、すぐに I don’t careとかI was bornとかの英語が羅列されるという宇宙語で(笑)

MUSICA 2008.01 

藤原、作曲後にメンバーを自宅に呼ぶ

作曲後、嬉々とした藤原さんはメンバー全員を自宅に招集します(!)升さんと直井さんは藤原宅へ到着しましたが、増川さんは圏外で繋がりませんでした(本人曰く、スタジオで練習していたそう)。

直井 – 藤君がギター1本持って、この詞の手書きの紙を一枚俺らの前に置いて。で、俺は何故か正座で(笑)。もうふたり(升と直井)の高鳴りは最高潮になった時にライヴスタートで。

MUSICA. 2008.01

自宅ライブはすごく盛り上がり、升さんと直井さんはモノを叩いて参戦します。升さん直井さんも寡作期と理解していたので、嬉しかったのでしょうね。

翌日マンションに騒音苦情が張り出される・・・

嬉々として披露した藤原さんでしたが、翌日肝を冷やす光景を目にします。自宅マンションのロビーにある掲示板に騒音に関する注意書きが張り出されていました。

藤原 – (苦情が共用掲示板に)バーンと貼り紙してあって。瞬時に申し訳なく思ったんですけど、同時に『ギターの演奏音と歌声』ってリアルな書き方がすごい恥ずかしくて(笑)

MUSICA 2008.01

夜遅くまで直井さん升さんに披露してたんですね。

アルバム制作の始まりを感じた1曲

2006年春-秋はバンプはメディア露出がない期間でした。当時の藤原さんの作曲方法は自宅に籠って一人で何度も推敲して書く方法のため、1曲を書き上げるのに長期的な期間を費やしており、それに加えて本人も認めるほどの「書けない時期」だったのです。

1st オリジナル無声映像作品「人形劇ギルド」2006.09.20発売

初めて夏フェスにも出演せず、シングル『涙のふるさと』と『人形劇ギルド』の制作をして過ごす中で「ハンマーソングと痛みの塔」が生まれます。ベーシストの直井由文さんはこの曲がアルバム制作を感じはじめた1曲だったと複数のインタビューで述べています。

直井 –  (中略) 「ハンマーソングと痛みの塔」ができたときに、“あ、これがアルバムとしての第1曲なんだろうな”という感覚はもちろんありました。

Barks  <orbital period インタビュー>    2007.12.17

直井 – きっとこれがアルバムに入るんだろうなっていう、アルバムの中で生きる曲なんだろうなっていうのを感じて、ここから始まるんだなぁっていう気分を“ハンマーソングと痛みの塔”で味わって。

excite music 「INTERVIEW with BUMP OF CHICKEN」2007

個人的な思い出として、2005 – 2007年の3年間はひたすらPONTSUKA!!を聴くしかない時期でした。「カルマ / supernova」(2005年) →「涙のふるさと」(2006年) →「花の名」&「メーデー」(2007年)まで1年に1枚ペースだったので、orbital periodの17曲という曲数を見たときはすごく嬉しかったですね。

升さん直井さんの目の前で披露した勢いのまま、翌日にはプリプロ制作をすることになります。

さて今回はハンマーソングと痛みの塔の作曲編を紹介しました!続きはレコーディング・ライブ編でご紹介します!