「くだらない唄」はBUMP OF CHICKENの1stアルバム『FLAMEVEIN』に収録されている楽曲です。
「くだらない唄」は藤原基央さんが16-17歳の春に作曲した古い曲で、10代ならではの心の動きが描かれています。
「ガラスのブルース」「BUMP OF CHICKENのテーマ」に次ぐ古い日本語詞の楽曲で、インディーズ時代から演奏されてきました。この記事では「くだらない唄」の考察と歌詞の意味を解説します。
基本情報
アルバム「FLAME VEIN」(1999年3月)
作詞・作曲 | 藤原基央 |
編曲 | BUMP OF CHICKEN |
作曲時期 | 1996年春以降 |
デモテープ | 7曲入りデモテープ(1997年) |
収録作品 | 1st アルバム「FLAME VEIN」(1999年) |
録音場所 | Bazooka Studio 東中野(東京都中野区) |
録音時期 | 1998年12月 – 1999年1月 |
1996年 東京で生活していた藤原基央
1996年、ボーカル・ギターの藤原基央さんは東京での生活をはじめます。最初はお姉さんの家や知人の家に転がりこみ、やがて初台で一人暮らしをするようになりました。
BUMP OF CHICKENとしては「Danny」でTeens Music Festival ’96 関東大会まで出場したあとの時期です。
毎週火曜日のバンド練習
毎週火曜日、4人はバンド練習をするために直井さんの家に集まっていました。藤原さんも東京から電車で移動して練習日は帰宅していたようです。
専門学校生、高校生、フリーターと別々の生活を送っていたメンバー達。学校やアルバイトなどで4人が時間までに集まらない時は残るメンバーでセッションを始めていました。
練習前の掃除直井父がお店を練習場所を提供する条件としてメンバーたちは掃除を課せられていた。
東京-千葉の移動ルート
藤原が移動したルート。所要時間は約1時間15分、切符代は940円 (2019年1月現在)。
藤原さんは当時住んでいた東京都渋谷区初台から千葉県佐倉市臼井まで電車を利用していました。京王新線(初台-新宿)・都営新宿線(新宿-本八幡)・京成本線(京成八幡-京成臼井)のルートです。
電車に乗りながら「くだらない唄」をつくる
ある日、バンド練習までに藤原さんはオリジナル曲を書く約束をしていました。しかし火曜日になっても曲をつくることができないまま、臼井へ向かう電車に乗ります。
メンバーと新しい曲を渡したいという気持ちが強かったのでしょうか、藤原さんは頭の中にあったアイデアを電車の中でまとめて1つの曲をつくります。
藤原 – 電車に乗ってチャマん家に帰ってたんです。その最中に、もうまとまりそうなアイディアが頭の中にいっぱいあって、電車の中でまとめてたんです。
引用:bridge vol.75 (2013)
藤原さんはメロディがしっかりしていれば頭の中でも作曲ができるといい、この時の経験によって獲得したスキルだと話しています。
約1時間15分ほどの移動時間中に完成し、バンド練習でメンバーに披露します。こうして「くだらない唄」が出来上がりました。
藤原 – (電車で移動する)その1時間ちょっとの間に1曲つくりましたね。作れるもんですね。到着してみんなに聴かせて、その曲は今でもやっています。『くだらない唄』って曲なんですけど。
1996年当時の藤原さんと同じように、初台駅から京成臼井駅まで乗りながら「くだらない唄」を聴くと当時の雰囲気を味わえるかもしれないですね。
古い日本語詞曲のひとつ
「くだらない唄」は藤原基央さんが作った日本語詞の曲の中でも古い部類に位置します。
日本語詞の楽曲 | 作曲時期 |
ガラスのブルース | 1995秋 – 1996年 |
BUMP OF CHICKENのテーマ | 1995秋 – 1996年 |
くだらない唄 | 1996年春 |
アルエ | 1996 – 1997 |
ナイフ | 1996 – 1997 |
藤原 – そん時 (1996年夏以降)は英語のオリジナル曲と何曲かの日本語の曲をやってたんだけど。……”くだらない唄”があったかな。”アルエ”はギリギリなかったかも。
引用:BUMP OF CHICKEN ヒストリーブック
「くだらない唄」にはデモテープ音源が存在し、少なくとも2種類のテープ作品に収録されています。
このうち1種類のアレンジにBUMP OF CHICKEN結成初期の演奏的特徴がみられ、古いオリジナル曲である事がわかります。
10代の藤原基央のこころ
この詞には青春という言葉がふさわしいほどのみずみずしい若さがあふれています。高校中退し、16-17歳にして社会に出た藤原さんの気持ちが読み取れる歌詞です。
なぜ東京に出てきて<たんぽぽ丘>を歌うのか?
宿内公園(たんぽぽ丘)
“1:20″〜
神様見渡す限りに たんぽぽの花を咲かせてくれ
僕らが大人になっても この丘を忘れぬように
引用:「くだらない唄」(1999年) 詞・曲 藤原基央
大人びているとはいえ、高校1-2年で地元を離れて生活すること*はとても心理的に苦しかったのではないでしょうか。
ホームシック、寂しさ、疎外感を感じ、心の拠り所を歌にすることで、東京での生活を頑張ろうとしていたようにも感じます。
*地元を離れた時期1996-1997年頃に千葉県内のレストランでアルバイトをしていた情報があり、「くだらない唄」の書かれた当時はまだ本格的に東京進出しておらず、半分東京、半分実家暮らしのような生活だったと推察しています。
大人になることへの抵抗感、少年時代への憧憬
“3:11″〜
かみさまぼくはふるえてる
背広もネクタイも見たくないよ
Tシャツに昨日しみ込んだ タンポポの匂いが忘れらんない
引用:「くだらない唄」(1999年) 詞・曲 藤原基央
多くの10代にとって「次は大学生になって、そのあと社会人に・・・」とネクタイやスーツは実感がわかないですよね。
16-17歳で社会に飛び出し、ネクタイやスーツが目の前にあった藤原さんは、余計に大人の世界に入ることへの抵抗感があったと思います。
“3:26″〜
きのうのおかでひとりきり
あなたがくるのをひたすらまった
くるはずないよわかってた ぼくはまだふるえてる
引用:「くだらない唄」(1999年) 詞・曲 藤原基央
<得意の絵を描いてあげる>、 <またここで一緒に絵を描こう>、<思い出を作ろう> と全て <あなた> に対して能動的な行動、呼びかけをしています。
高校辞めたけど一緒に遊んでよ、東京にいるけど忘れないでよ、周りが変わっていくこと、置いてけぼりになることへの寂しさを感じました。
私の主観的な解釈です。
藤原基央による自評
藤原さん自身もこの曲が自分たちの青春を表していると自評しています。
藤原 – 今チラッと歌詞カード見てたんですけど、一番青春の感じが出てるみたいな気がしますね(笑)
引用:bridge vol.75 (2013)
以上、「くだらない唄」の解釈・解説でした。