「ロストマン」はBUMP OF CHICKENが2003年に発売したシングル曲です。
「ロストマン」の歌詞を書くために、ボーカル・藤原基央さんは9ヶ月をかけて同じ曲と向き合いました。この曲のために30曲分は書いては消して、最後に残ったのが「ロストマン」の歌詞です。
BUMP OF CHICKENの歴史に残る「ロストマン」の歌詞の意味、制作エピソードについて解説します。
「ロストマン」基本情報
- シングル「ロストマン / sailing day」
- アルバム「ユグドラシル」
作詞・作曲 | 藤原基央 |
編曲 | BUMP OF CHICKEN & MOR |
作曲時期 | 2002年1〜9月(作詞に9ヶ月かける) |
録音時期 | 2002年秋〜冬 |
収録作品 | 2003年3月12日 シングル「ロストマン/sailing day」 2004年8月25日 アルバム「ユグドラシル」 2013年7月3日 ベストアルバム「BUMP OF CHICKEN BEST Ⅰ[1999 – 2004]」 |
ライブ初披露 | 2003年5月13日「NINJA PORKING」横浜BAY HALL |
「ロストマン」作曲エピソード
2002年1月、BUMP OF CHICKENは「天体観測」を収録したアルバム「jupiter」の制作が終わり、リリースを2月に控えていました。
この頃、藤原さんはのちに「ロストマン」と命名される新曲のコード進行やオケ(演奏)をシーケンサー(YAMAHA製)で決めていきます。
藤原 – 曲はもう完全にできちゃってて。曲はヤマハのシーケンサーにちゃんと打ち込んであって
引用元:「Bridge」2013年6月号
別のインタビューでは2002年6月、奄美大島に旅行にいった際にシーケンサーで打ち込んだと話していることから、1月から断続的にシーケンサーでの曲作りを決めていったことが伺えます。
現在は詞と曲を一緒に作ることが多いですが、インディーズから2000年代前半までの楽曲は先にオケ(演奏)の制作から始めることが多いです。「天体観測」「Title of mine」「ハルジオン」「ダンデライオン」などはオケから作り始めました。
「ロストマン」作詞エピソード
新曲のオケを作りつつ藤原さんは作詞にとりかかります。そしてこの新曲が「ロストマン」として完成するまでに9ヶ月かかることになります。
藤原 – これは9ヶ月間、歌詞が書けなかったんだよなあ。しかもその9ヶ月間、一切他の曲を書かないっていう。
引用元:「Bridge」2013年6月号
9ヶ月向き合い続けた「ロストマン」
普段、藤原さんは曲が書けないときに別の曲を作る時があるそうです。しかし「ロストマン」では他の曲に取り掛からず、1つの曲に対峙することが必要だったと語っています。
「ROCKIN’ON JAPAN 2003」2003年3月号(画像引用元:amazon.jp)
藤原 – “ロストマン”って曲は、曲作ってる時から詞書くときまで絶対”ロストマン”から離れちゃいけなかったのね。(中略)それだけに没頭しなきゃいけなかったんだ。絶対に。じゃないと彫り出したものがほれなかったんだ、うん。
〈絶対に〉という言葉で使う藤原さんに「ロストマン」への覚悟を読み取ることができます。
書いては消してを繰り返した歌詞
藤原さんは旅行先の奄美大島で作詞をしたり、自宅で作詞をしたりして少しずつ詞を書き綴りました。しかし、どれも「ロストマン」の歌詞には至らずにボツにしたといいます。
藤原 – このニュアンスはあるけど、これじゃ足りないっていうふうに思って、またゼロから書き始めるんですよ。
引用元:「Bridge」2013年6月号
この作詞の過程で「シザースソング」「ジャングルジム」という曲名の詞もありました。しかしボツになったり、或いは「ロストマン」の歌詞に吸収されました。
この過程で生まれた「シザースソング」という1曲分の歌詞は《僕らが丁寧に切り取った その絵の名前は 思い出》 という「ロストマン」の1行分に凝縮されているといいます。
2019年のアルバム「aurora arc」には同タイトルの「ジャングルジム」が収録されています。しかし藤原さんは「ロストマン」とは無関係であると明かしています。
「ロストマン」の完成
2002年9月、藤原さんは「ロストマン」の歌詞を完成させます。完成後に改めて歌詞を読んだ藤原さんは「ロストマン」のために生まれた数曲分の歌詞が1行、1単語に入っていると感じました。
藤原 – 正確には5分 × 30曲分くらいの尺が詰まってるはずなの。
「ロストマン」完成後、堰を切ったように作曲します。同じ9月に「ホリデイ」「スノースマイル」「sailing day」を作曲しました。
藤原さんが作詞に苦労した楽曲には「ハルジオン」「K」などがあります。しかし「ロストマン」はそれまでの比ではなく、藤原さんの作詞家としての《一つの到達点》だと評しています。
「ロストマン」の意味
ロストマン(lostman)の意味について藤原さん自身は明かしていませんが、「ロストマン」の歌詞に登場する単語から「迷子」と「失った人」のダブルミーニングを示唆しています。

the pillows「Please Mr. Lostman」(1997年)
藤原さんがインディーズ時代から親うthe pillows(ピロウズ)には「Please, Mr. Lostman」(Please, Mr. Postmanのオマージュ)という楽曲が存在します。”lostman”という表現が英語圏で一般的ではないことから周囲の作品に影響を受けている可能性があります。
「行動を取るという事実」を書いている
「ロストマン」の歌詞について藤原さんは、〈行動をとっているという事実〉をありのまま書いただけだとインタビューで解説しています。
その祈りが叶う叶わないは置いといて、そういう行動を取っている事実。それを書こうとしたんだと思います
引用元:ユグドラシル発売インタビュー excite.jp(リンク切れ)
この着眼点は翌年に出来上がる曲「オンリーロンリーグローリー」に表れています。
「オンリーロンリーグローリー」との対応
藤原さんは「ユグドラシル」リリースのインタビューで《「オンリーロンリーグローリー」を書こうとして他のアルバム曲が出来た》と説明しています。

シングル「オンリーロンリーグローリー」
「ロストマン」の〈行動を取る事実〉に焦点を当てた哲学は「オンリーロンリーグローリー」の1行目に集約されています。
そしてその身をどうするんだ
引用元:「オンリーロンリーグローリー」/藤原基央(2004年)
藤原さんはこの1行目に対して、過去に何があったかは関係なく《じゃあ、どうするんだ?》と現在の行動を強く促している、と語っています。さらに「ロストマン」に登場する〈迷子〉は「オンリーロンリーグローリー」にも登場します。
歩き出した迷子 足跡のはじまり
ここには命がある引用元:「オンリーロンリーグローリー」/藤原基央(2004年)
〈迷子って気づいていたって 気づかないフリをした〉状態だった「ロストマン」が「オンリーロンリーグローリー」では歩き始めるのです。
藤原基央の書く「迷子」の行方は
藤原さんの書くBUMP OF CHICKENの楽曲には「迷子」が登場する楽曲がいくつか存在します。
曲名 | リリース | 「迷子」が使われる歌詞 |
「ロストマン」 | 2003年 | 迷子って気づいていたって 気づかないフリをした |
「オンリーロンリーグローリー」 | 2004年 | 歩き出した迷子 |
「arrows」 | 2007年 | 迷子と迷子が出会った 不燃物置き場の前 |
「ゼロ」 | 2011年 | 迷子の足音消えた 代わりに祈りの唄を |
「トーチ」 | 2014年 | 四角い部屋 迷子になったら 呼びかけてほしい |
「Hello, world!」 | 2015年 | おはよう これから また迷子の続き |
「アリア」 | 2016年 | あの日の些細なため息は ざわめきに飲まれ 迷子になったよ |
「リボン」 | 2017年 | 今そばにいるから 迷子じゃないんだ |
「記念撮影」 | 2017年 | ねぇきっと 迷子のままで大丈夫 |
自分自身が「迷子」を認識したのが「ロストマン」、歩き出したのが「オンリーロンリーグローリー」、他者あるいは客観視した自分と出会うのが「arrows」・・・と藤原さんの中で「迷子」の言葉が昇華されていきます。最後の「記念撮影」で”迷子のままで大丈夫”と肯定をして以降は「迷子」という言葉は使われていません。
「ロストマン」レコーディングエピソード
歌詞ができた後、藤原さんはヤマハ製QY-70を使用してシーケンサーでアレンジを細かく作り込んだといいます。

藤原基央が愛用するシーケンサー YAMAHA QY-70
藤原 – 詞があがって、シーケンサーに完璧に打ち込んで、あんなに打ち込んだのは後にも先にもあれだけですね。
引用元:「QUIP MAGAZINE」
インタビューによってシーケンサーで制作していた時期が異なりますが、作詞期間中に断続的にシーケンサーでオケを固めていました。
曲が求めたツインドラム
「ロストマン」はBUMP OF CHICKENの楽曲で初めてツインドラムのパートが入っています。音源で流すと 0分56秒〜の部分です。
直井 – 面白いなって思ったのは、今までになかったツインドラムだったのね。打ち込みの。
藤原 – 打ち込みだとなんでもできちゃうからそういうふうになるんですよね。引用元:「QUIP MAGAZINE」
藤原さんはこのツインドラムを〈シーケンサーで作り込んだからこそ生まれた〉と表現し、さらに10年後のインタビューでは「ロストマン」が求めた音がこれだったと振り返っています。
藤原 – たとえば“ロストマン”にはドラムがふたつ入ってるんです。ドラムをふたつ入れて曲を作ってみよう、じゃないんです。結果的にそうなるんです。
引用元:rockin’on.com
「jupiter」までは表現しきれなかった、BUMP OF CHICKENの基本理念である「曲が求める音」を体現する技術が「ユグドラシル」の頃に完成します。「ロストマン」はその最初の1歩となる楽曲だと言えます。
ドラムス・升秀夫さんは、藤原さんが制作したシーケンサーでは機械音として入っていたツインドラムの音を生ドラムで表現します。エンジニアスタッフと一緒に音作りをし、スネアドラムを改造したりしました。また1番で演奏されるドラムにはリバーブ(残響)がかかっており、2000年代のBUMP OF CHICKENのドラムとしても大きな1歩となる楽曲となりました。
和音奏法を使う直井由文
ベーシスト・直井由文さんは「ロストマン」で初めてベースで和音を鳴らしています。これもBUMP OF CHICKENの楽曲としては初めての取り組みです。
ベースは通常単音(1つの弦)を弾くのが一般的ですが、複数の弦で弾くこともあります。BUMP OF CHICKENの楽曲では「You were here」などに使用されています。
藤原基央による即興のコーラス
ギターソロの後にコーラスが印象的な場面があります。「ロストマン」の3分38秒からのパートです。
強く手を振って あの日の背中に サヨナラを
告げる現在地 手のひらにコンパス
さあ 行こうか ロストマン引用元:「ロストマン」/藤原基央(2003年)
このボーカルの裏で〈Ahー〉と歌っている高音のコーラス、これらは全てボーカルRECの際に入れたアドリブだと藤原さんは語っています。
「ロストマン」CDジャケット

「ロストマン」裏ジャケット
「ロストマン/sailing day」のCDジャケットの撮影場所は当時藤原さんが住んでいた中目黒にある自宅マンションといわれています。
ベランダではCDジャケット、販促ポスター、雑誌提供用のアーティスト写真が撮影され、リビング4人がゲームをする写真は当時の公式HPのアーティストプロフィール写真として使用されています。
「ロストマン」MV
監督 | 番場秀一 |
ロケ地 | 東京都大島町(伊豆大島)の裏砂漠 |
「ロストマン」のPVロケ地は伊豆大島の三原山東側にある裏砂漠と呼ばれる砂漠です。
映像の中では「sailing day」に登場するエキストラが映り込み、4人が持っている楽器も全て「sailing day」のPVで使用している楽器と同じです。両A面シングルということもあり連続性を持たせています。
「ロストマン」ライブ演奏記録
演奏回数 | 44回 (直近20年では3回) |
初披露 | 2003年5月13日 NINJA PORKING 横浜BAY HALL公演 |
最終演奏 | 2016年2月11日 BUMP OF CHICKEN 二十周年特別記念ライブ「20」 千葉幕張メッセ |
演奏ツアー・ ワンマンライブ |
2003年「NINJA PORKING」*全公演演奏 2004年「ヒゲ・ポーキン」渋谷TOWER RECORS 2004年「BUMP DAY FREE LIVE」佐倉市民体育館 2004年「MY PEGASUS」 2006年「run rabbit run」 2006年「BUMP OF CHICKEN LIVE IN SEOUL」 2016年「BUMP OF CHICKEN 二十周年特別記念ライブ『20』」 |
BUMP OF CHICKENのライブで「ロストマン」の演奏回数は44回です。2003〜2004年にかけて集中的に演奏されたものの、すでに2006年「run rabbit run」ではツアーファイナル(代々木第一体育館)のみの演奏でした。
2016年2月11日、バンド結成記念日に開催された「BUMP OF CHICKEN 二十周年特別記念ライブ『20』」で10年ぶりに演奏されています。
「ロストマン」ライブ映像作品
映像作品「BUMP OF CHICKEN 結成20周年記念Special Live 「20」」 | ![]() ![]() |
上記の他に2004年5月29日に地元佐倉市で行われた凱旋ライブ「BUMP DAY FREE LIVE」の様子がスペースシャワーTVにて放送されています。
以上、BUMP OF CHICKEN「ロストマン」の歌詞の意味と制作エピソードについて解説しました。