インディーズ期コラム升秀夫増川弘明直井由文藤原基央

BUMP OF CHICKENの歴史 HISTORY & BIOGRAPHY

インディーズ期

1994年

夏休み受験生なんてその、夢中でバンドに燃える。
文化祭中学3年の文化祭で藤原、直井、升の3人と文化祭実行委員長を含む7人組バンドを結成。委員長が3人に『俺ビートルズやりたいからお前ら一緒にやろうぜ』と声をかけた。The Beatlesの「Twist and Shout」、ベン・E・キング「Stand by me」(しかし楽譜はジョン・レノンのバージョン)とLadis Roomの「Get Lost」の計3曲を演奏。体育館でのライブは全員体育座りしていた生徒が総立ちになる程大成功となり、一躍学校のヒーローになる。そして選曲のせいか、先生たちの方が盛り上がっていた。
12月クリスマスライブ at 臼井青年館  観客はまばらでメンバー達は大きなショックを受ける。バンド演奏+藤原弾き語り(藤井フミヤの「TRUE LOVE」)。藤原はライブ後、好きな女の子に告白する予定だったが女の子すら来てくれず…。増川がこのライブから舞台を手伝い始める。ライブ終了後、升の母が「はい、終しまい!終しまい!」と片づけ開始しはじめ、観客と一緒に掃除する。
 受験のためバンド練習がなくなる

 

1995年

2-3月 受験終了後、藤原が新メンバー2人 (“あいつ”と増川)を連れてくる。2人ともギター担当で計5人になる。
3月初のオリジナル曲「デザートカントリー」をメンバーで書く。藤原がコードとメロディーを作り、英詞をメンバー全員で直井の部屋で辞書を引いて書いた。
4月藤原は日出学園高校、増川と升は佐倉高校、直井は調理師専門学校へ進学。
  升がチラシを持って来た『高校生音楽祭』にエントリーする。それに合わせてバンド名を”BUMP OF CHICKEN”と名付ける。ちなみにボツ案は”トラクター”(藤原)、”カントリーコンベアー”(直井)などがあった。升が3単語のバンドが良いと主張し、みんなで考えてBUMP OF CHICKENになった。ちなみに1度バンド名を”BUMP OFF CHICKEN”に変更したことがある。
7月『高校生音楽祭』に5人で出場。「デザートカントリー」演奏するも予選落ち。この時リハーサルでは本番の演奏曲と違う「Stand by me」を演奏してスタッフを呆気に取らせる。人気投票では2位になり”千葉の2位のバンド”だと自信を持つようになる。
 軽井沢へバンド合宿。「やっぱりバンドは合宿でしょ!」と言う理由で持ち曲もないくせに合宿をしに行く。升は瓶に入った「なめ茸」を持参。食糧をまともに持たない5人、同じ合宿所に宿泊していたグライダー部の女子大生にカレーライスを分けてもらう(男子大学生から嫉妬の視線を浴びる)
藤原、高校の先輩のバンドに助っ人ギタリストとして参加する。そのバンドのドラムに藤原は升を誘い、ギタリストとしてメタリカなどを演奏。升と増川の2人も別バンドを組んだりしていた。
升と増川、犬猿の仲で日々殴り合う。
直井、海の家で約1ヶ月住み込みのアルバイトをする。
藤原、高校に行かなくなる。出席日数が足りず、留年確定。文化祭のライブに出演後(体育祭の前)、高校退学。
 BUMP OF CHICKENの結成1年目はミーティンングが多く、バンドの方向性や売り方を議論し時間が過ぎていく(PONTSUKA 2004/07/25より)
藤原、「DANNY」を書く(初の作詞作曲)。家出をして五縄公園のベンチに寝転がるもう一人のギター”あいつ”の横で作った。



1996年

2/11Teen’s Music Festival ’96 at 伊藤楽器(船橋本店)にて「DANNY」で地区大会優勝。”あいつ”を除く4人での初ライブ。升が一行日記のようなメモに残していたため記録が残っている。この年、同じ地区大会に奥華子、福岡大会に椎名林檎が出場している。
TFM’96を順調に進み、千葉大会 at 千葉パルコ、関東大会で日本青年会館で演奏。地元の友達の間でバンドが話題になる。この大会で業界人に「なぜ英語の曲?」と聞かれ「世界に通用するから」と藤原答える。その後もコンスタントに(テスト期間はもちろんやすむ)
ライヴ活動を続ける
 藤原、初の日本語詞「ガラスのブルース」を書く。藤原の部屋で増川に最初に弾き語りで聴かせた。
8月Beat Brust in Japan に「ガラスのブルース」で出場。全国大会でグランプリに輝く。優勝賞品はMacintosh 1台、「 家にゲームがない 」という理由で升の家に運ばれる。(実は升はゲームボーイを持っており、本当に持っていなかったのは増川であった・・・)この時、後にマネジメント契約をするW社のM女史が会場でBUMPを観る。
千葉県内のライブハウスに出演するようになる(ブッキング担当は藤原)。同時に1人8000円を出し合い、MTRを購入し(保管は藤原)、デモテープを制作するようになる。この頃の持ち曲は英語詞数曲と「ガラスのブルース」、「BUMP OF CHICKENのテーマ」、「くだらない唄」。
藤原、東京と千葉を往復する生活をはじめる。毎週火曜日はおおいわで練習。
 M女史がライブハウスに観に来る。代官山に行き、社長のT氏と面会。メンバー、大都会東京ではしゃぐ。契約の話は一切なく、純粋にW社のスタッフと交流が続く。

 

1997年

1月都内で初ライブ at 下北沢Club251。M女史に誘われたオールナイトイベントで出番は深夜2時だったがメンバーは刺激を受ける。升はブラックライトの蛍光灯に歯を光らせてはしゃぐ。上野駅から始発に乗るもあまりの眠さに寝過ごして家まで中々たどり着けなかった。
3月ライブ at 千葉LOOK 
 直井、17歳だが18歳とサバを読みローソンで夜勤のバイトする
6-8月1st Tour Chicken’s Knife (チキンズナイフ) 開催。5本のうち4本は全部千葉。ゆえに千葉Tourである。FINAL の下北沢CLUB QUE(出演時間たった15分)で初のアンケートを試みたところ、50枚の返りがあった。この時の演奏曲は「BUMP OF CHICKENのテーマ」「くだらない唄」「Day Dream Believer」「トランスライフ」「ポケットロック」など。
直井、藤原が高校3年の升、増川の2人にバンド継続の意思を聞く。即答されず濁した回答に直井と藤原は温度差を感じた…。
10月 BUMP OF CHICKEN企画ライブ at 千葉ANGA。50本限定デモテープ『NO REASON – BOC-001』が10分で完売する。好評につき、下北沢ハイラインレコーズでの販売をその後開始する。(後にこのデモテープは1000本売れる。)このライヴを最後に、メンバー大学受験のため活動休止。
藤原、業界人に引き抜きに合う。別のメンバーを用意されるも「BUMP OF CHICKENでいたいです」と辞退する。そしてめっちゃバイトをする(服屋、ビルのゴミ仕分け、八百屋、カフェ、レストラン etc.)。助っ人でギターを演奏する。知り合いのバンドをレーベルに橋渡ししたりする。

 

1998年

3月升は獨協大学に推薦合格、増川は受験浪人、直井は大検と調理師免許取得、藤原は上京
10月に制作したデモテープ「NO REASON – BOC-001」がHiLine Records総合売上チャート3位にランクインする。以後毎月TOP10入りする(累計1,300本の売上)
3/15BUMP OF CHICKEN初のワンマンライブ at 千葉ANGA。復帰第1弾ライブに待ちに待ったファンが130人が訪れた
3/31ライブ at 本八幡ルート14
4月直井、上京して藤原と同居する。升は片道2時間かけて佐倉から埼玉県まで通う
増川が浪人中にも関わらず遊んでばかりのため直井がイラつく。「もう待てない」としてバンド活動を再開してどんどんライブをブッキングする。3人でライブに出演したりする。
4/29イベントライブ at 西荻窪ターニング。はやくもBUMP OF CHICKENの噂をかぎつけた業界人でいっぱいになる。
5/3 イベントライブ at 千葉LOOK。 イベント動員数200人
5/17デザインフェスタライブ at 東京ビッグサイト(国際展示場)。ステージがない所で360°人が通行する場所で、劇団すいっちと一緒に演奏する。ライブステージではなくファッションショースペースでライブをやったのが功を奏したか、その日持ち込んでいたデモテープが5分で売り切れる。
2人組の業界人と知り合う。太っ腹な業界人に楽器を買ってもらう(藤原はレスポールSPを入手したと思われる)も、その後無断でショーケースイベントに出演させられそうになり縁を切る。
藤原のバイト先の人が3ヶ月分の給料を持ち逃げする事件が発生。DM担当の升、送付数が1,000を超える。。直井が3ヶ月間家賃を支払う。
 W社が厚意で3曲入りデモテープ制作を手伝ってくれる。
5/27ワンマンライブ at 千葉ANGA。この日はいつも来てくれるファンの人に感謝の気持ちを込めてチケット代を 651円 に設定。理由はムゴイから…この頃から1回のワンマンライブで1人3万円ほどの儲けが出るようになる。
6/7イベントライブ at 千葉LOOK 総動員数230人
6/25-28劇団すいっちとのジョイントミュージカル「はしるおんな」出演 at 明大前キッドアイラックホール。同劇団には藤原の2番目の姉が在籍しておりその紹介で出演することに。バンド役として役柄を与えられ生演奏した(ちなみに藤原は「アキヒト」という役)。このミュージカルのために6曲ほど(主題歌、主人公のテーマなど)を書き下ろす。計6回のステージに出演し、「劇よりもバンドが良かった」などのアンケートをもらう
「はしるおんな」の期間中、M女史に夕食に呼ばれる。『君たちと一緒にやっていきたい、ぜひ一緒にやって生きませんか?』とマネジメント契約の話をされる。メンバー側は「もう一緒にやってるじゃないですか」と相思相愛で契約を結ぶことにする。
7/27ライブ at 本八幡ルート14
8/30ライブ at 本八幡ルート14 
1st CD 「BUMP OF CHICKN」3曲入りのレコーディングが代々木で始まる
9/152マンライブ at 千葉LOOK (with スパイパス) 。2バンドで200人近く集客する。「お互いの曲をカバーしあう」という企画がありスパイパスが「アルエ」をカバーしたら、客席から大合唱がおこった。BUMP側は「コスモス」という楽曲をカバーした。 「Glorius」「18 years story」「Danny」「とっておきの唄」「コスモス」「くだらない唄」「香港スター」などを演奏。
9/23ライブ at 本八幡ルート14 この日のセトリを書いたフルカラーフライヤー配布
9/30ライブ at 下北沢Club251(POWER POP SHOW vol.7 /with PELIKAN KING, Cembalo, グン /2,300 yen)。東京で初のちゃんとしたブッキングライブ出演に、千葉から多くのファンが応援にかけつける。まだ東京ではノルマを売り切れてない。
10/4BAY-FM「ネオストリームナイト」内のインディーズコーナーの月間パーソナリティスタート。その名は「BUMP OF CHICKEN の ” VIVA !! LONGFELLOW」。
10/8ライブ at 下北沢 CLUB 251。ノルマをようやく売り切る。東京の風はまだ冷たい。
10/18BAY-FM「ネオストリームナイト」内「BUMP OF CHICKENの ” VIVA !! LONGFELLOW」放送。
10/24イベントライブ at 千葉LOOK。動員数250人。同時に 1st CD「BUMP OF CHICKEN」(01.アルエ 02.ナイフ 03.リトルブレイバー)をハイラインレコーズとライブ会場のみ販売の完全500枚限定。シリアルナンバー入り)先行発売。200枚が即完売。メンバーが125枚ずつ、ひとつひとつ手書きのメッセージカードを入れた。
10/25インストアライブ at 下北沢HiLine Records。ハイラインレコーズにてCD 発売記念インストアライブ。BUMP OF CHICKEN を一目見ようと、「あんなに沢山の人が店にいるところは見たことがない!」と店員さんを驚かせるほどの人がつめかける。「くだらない唄」「リトルブレイバー」「DANNY」などをアコースティック版で披露する。アコースティック版といっても増川はエレキギター、直井はエレキベースであり、藤原はアコースティックギターという編成だった。CD はこの後ハイラインレコーズ売上チャート初登場 2位(デモテープも共にチャートイン)となり1ケ月で完売する。BAY-FM「ネオストリームナイト」内「BUMP OF CHICKEN の ” VIVA !! LONGFELLOW」最終回放送。
10/27ライブ at 下北沢Club251 「デザートカントリー」「18 years story」「Glorius」とCD収録3曲を演奏
 5曲入りデモテープを無料配布(収録曲「Desert Country」「アルエ」「リトルブレイバー」「ナイフ」「18 years story」
12/6  フリーペーパー「HELLS IMPACT」創刊。
12/11下北沢 CLUB 251 ライブ。CD とカセットテープの影響でBUMP OF CHICKEN だけで100人近くもの人がつめかける。ファンの幅も東京はもちろん、埼玉・神奈川・群馬・茨城・栃木にまで拡がる。5つほどイベントに誘われるが全て断り、大学受験のため再び活動休止。そして冬休みを利用して 3日間 レコーディングをする。
藤原、カフェのアルバイト先でFLAME VEINの歌詞カードを書く。
 12月1st Album 「FLAME VEIN」4曲のレコーディング。東中野のbazooka-studioにて3日間(1998年に2日間、1999年に1日)行われた。12月の2日間はレコーディング作業、1月にTD作業。「ガラスのブルース」「くだらない唄」「とっておきの唄」「ノーヒットノーラン」の4曲をレコーディング。メンバー、藤原歌入れ中にケツを出して踊る。「アルエ」「ナイフ」「リトルブレイバー」の3曲は10月の1st CDの音源を転用

 

1999年

1月1st Album 「FLAME VEIN」レコーディング。東中野のbazooka-studioにて3日間(1998年に2日間、1999年に1日)行われた。1999年の1日はTD(トラックダウン)が行われた。タイトルは演奏中に血管が浮き出ていたから。
3月増川、無事に中央大学理工学部に合格。晴れてバンド活動を再開する。
3/10ライブ at 下北沢SHELTER ライブには心待ちにしていたファンが詰めかける。
3/18ハイラインレコーズより1st. Album「 FLAME VEIN 」リリース!発売記念インストア・アコースティック・ライブを下北沢ハイラインレコーズにて行う (start 15:00 / 無料) 。ここに詰めかけたファンはなんと150人!店の前の階段はファンの行列で埋め尽くされる。ライブの模様はスペースシャワーニュースでも取り上げられる。フリーペーパー第2号「DAVILS’ CRISIS」発行。
メンバー、CDショップでFLAME VEINを見ると目立つところに移動する
3/22CD発売記念ワンマンライブ「FLAME VEIN」 at 千葉LOOK。当初は対バンが1つつく予定だったが、予定していたバンドが急遽事故により出演取りやめという事態に。しかし150人のファンと物凄い盛り上がりのライブをみせる。遠くに引っ越してしまう友達のために作った曲も聴けて感動的なライブだった。ちなみにこの曲は「バイバイサンキュー(弱虫賛歌)」と誤解されているが、それは誤りである。実際は別の友達で、その友人が書いた歌詞にメンバーが演奏をつけた曲である(未発表曲)。「ノーヒットノーラン」を初披露したライブでもある
3/28ライブ at 下北沢 CLUB QUE 。評判を早くも聞き付けた業界人がわさわさと観に来る。
3/30渋谷ON AIR EAST イベントライブ「CREATE A SCENE」。ライブが終わってその足で目指すは 大阪 !
3/31FMひらかた ゲスト出演。大阪ベイサイドジェニー ライブ。初の大阪でのライブだが思った以上に寒いノリ。余りの寒さにメンバー、遠征に来た意味を考え直す。しかしそんな不安とは裏腹に沢山のアンケートが返ってくる。(この時のエピソードはしばしばMC・ラジオで語られる)
4/1大阪バナナホール ライブ。前日のライブのせいか、バンプ目当てのチケット予約が当日30枚入る。
4/10下北沢GARAGE イベントライブ「Low blood pressure vol.4」(with/アポロチーム、Hermann Hesse & The Pacemakers、BUZZ-EDGE)
4/11藤原、新宿LIQUID ROOMのthe pillowsのライブを観る。キングレコード時代にプロデュースを行なった浅田幸彦氏(のちにBUMP OF CHICKENのプロデュースも務める)の仲介で山中さわおと対面する
5/1 千葉LOOKライブ。
チケット完売の為、入れなかったファンが店の前に35人!お店の人に無理を言ってキャパ以上だったが無理矢理詰め込む。それでもミッシェルの動員記録までは届かず。
 5/4下北沢 CLUB 251 ライブ。
MUSIC DAY と言うことで(どういうことだ?)SPACE SHOWER がバンプを撮る。(99年6月9日O.A.) 「くだらない唄」「アルエ」などを演奏。
5/5HMV新宿サウス店インストアライブ。(with/ジァイアントステップ)大画面でPVが流れ、自分達が映しだされ、ステージ上ではしゃぐメンバー。この日は約300人程の人がみてくれていた。この日の様子もSpace Shower TVが撮影している。演奏曲は「ナイフ」「リトルブレイバー」「ガラスのブルース」。この頃まではライブ登場SEにRage against the machineの「People of the Sun」/ 2nd Album [Evil Empire] を使用していた。
5/20渋谷屋根裏 ライブ(with/マンガヘッド、water pic man、Patty’s Oblian) 。この日の模様はテレビ朝日系「ブレイクアウト」で放送されておりバンド初の地上波映像出演となった。
5/22下北沢 CLUB QUE 「ハイラインナイト」イベントライブ。(with/carnies、ジァイアントステップ)東京で初のチケット完売!!お店の人曰く「年末のイベントなみだね!」
6/3千葉LOOKライブ (前売り1500円 open 18:00 / start 18:30)  
6/13下北沢 CLUB QUE  “UNDER <N> WATER WORLD 1999-5″(with Wilberry /Cruyff in the bedroom, 前売り 2,300yen 当日 2,500円 / open 18:30 : start 19:00, )
6/22渋谷屋根裏ライブ。(with/ハズバンド、dai dai、JET SET、ベロテクス)1,700 yen
6/27 大宮 Hearts ライブ。17:30オープン/ 18:00スタート / 前売り2,200円。(with/太陽の塔、ギルカバー&ザ・モンキー)。この時、交流のあった他バンドに触発され、BUMP OF CHICKENが大宮駅前で路上演奏をする。アンプを持っていき(ドラムはどうしたか不明)、唯一に近いくらいの珍しい路上ライブであった。
6/30熊谷 VOGUE ライブ。…と、6月だけで5本という怒涛のライブスケジュール。初の熊谷進出に客の入りは寒ーいモノとなり疲れが余計に心配だったが、素晴らしいステージをみせる。人知れずひっそりと良いライブをするバンプ…。BUMP OF CHICKENにとって初めての熊谷VOGUEでのライブ。何人か常連がいる以外はほとんど新顔のお客さんばかり。この時、ツナギを来た高校生バンド(Red Hot Chili Peppersのコピー)がうまくて、メンバーはへこむ。年下がいるのに緊張する増川。V系が多く出演するライブハウスのため、鏡の多さに電気をつけたり消したり遊ぶ升。直井は(県外でのライブに興奮し)「熊谷に来ちゃえば、世界も近いな」と感じたという。既に都内では満員御礼だったが、郊外に出たら客10人とかになり、調子に乗っては叩かれ調子に乗っては叩かれを繰り返していたという。
7/3下北沢 CLUB 251 ライブ。(18:30 OPEN  19:00 START with/ステンレス、シモンズ)この日でしばしライブは試験休みに突入。これを機に楽器を生まれて初めてのリペアに出す。この頃まで増川のギターはGibson Les Paul Studio (赤)であった。
7/13B.PASS 取材。喋る喋る!あまりの勢いになんと次々号からの連載が決まる。
7/15BREaTHでの連載スタート。(vol.9号から)
7/16(8/12) 所属事務所ロングフェローの関係者に連れられて渋谷DeSeOのイベントライブ「Speed Ball」を観に行く。syrup 16gのステージに感動したメンバーはスタッフに無理を言い楽屋挨拶をさせてもらう。その場でシロップのメンバーと握手し「FLAME VEIN」を渡す。これがシロップとバンプとの出会いであった
7/20←NEW六本木の某スタジオにて「リトルブレイバー」撮影。BUMP OF CHICKENにとって生まれて初めてのPV撮影になる。監督からは「笑ったら殴る」と言われ緊張感を持って撮影に臨むメンバー・・・。
7/30FUJI ROCK Fes. 初日。当初メンバーみんな行く気マンマンだったがちゃんとFUJI ROCK 貯金をしていたのは升ひとり。升ひとり、電車で観に行く。Rage against the machineと電撃ネットワークが印象的だった。近年、藤原も参戦しておりアジカン後藤と握手したエピソードを後藤正文が明かしている。
8/3下北沢 SHELTER ライブ。(with/ソルビット、FLOWER ROCK、藪蛇古屋) 久しぶりのライブにバンプ・オーディエンスが100人来る
8/8千葉 LOOK ライブ。(with/wagon、sepa、in the soup)
8/15大宮 Nack 5 Town インストアライブ。
8/20渋谷 club asia ライブ。(「CLUB DI:GA」with/noodles、ジァイアントステップ、Pete Best, ポルノグラフィティ etc…)この日は夏休みということもあってか大阪や新潟、長野、仙台、北海道等、地方から沢山の人がバンプを観に訪れる。この日はインディーズ時代のポルノグラフィティと対バンしている。
8/25イベントライブ「平泳ぎ大会~スイスイ~」at 千葉 LOOK ライブ(with あにまる etc.)。この日、先着25名限定で出演アーティストから各デモテープが配布される。BUMPはリハーサルスタジオでジャムって録音したインストゥルメンタル曲が収録されている。アコギの偽物が多く出回っているが、本物はちゃんとしたバンドサウンドである。
8/26下北沢 CLUB 251 ライブ。(「綜合科学研究所 Vol.8」with/ライフレコーダーズ、GOING UNDERGROUND、グン)この時から既にバトルクライを演奏している
1st Single「LAMP」のレコーディング。「LAMP」と「バトルクライ」の2曲を録る。藤原はバスでスタジオまで行くが、そのバスの途中激しい腹痛に襲われていた。この時のレコーディングの状況はフリーペーパーにて詳しく書かれている。
9/41st Single「LAMP」のレコーディング。明け方まで行われる。
9/5初の全国ツアー「HANSO-DE TOUR ’99」に向けて東京出発。前日から明け方まで「LAMP」のレコーディングが行われていたにも関わらずはしゃぐメンバー。なんと福岡まで東京から車で向かう。
9/6神戸到着。さすがのメンバーも疲れを隠しきれずここで昼まで仮眠を取る(しかもラブホ)。仮眠後、昼はせっかく神戸に来たのでハーバーランドで少し遊んでから目指すは福岡へ。夕方中国道に入ると雲行きが妖しくなる。そんな天候の中に大きな山々が聳えた立つ景色を食い入るように見つめながらメンバー口々に「絶対仙人いるべ!」「ほら、あそこら辺に絶対住んでるべ!」
9/7HANSO-DE TOUR at 福岡 DRUM Be-1 ライブ。なんと長崎からもバンプを観に人が訪れる。ライブ終了後、ご飯はもちろんラーメン。
9/8HANSO-DE TOUR at 広島 NEO POLIS HALL。ライブ終了後、ご飯はもちろん広島焼。
9/9 大阪への移動日。夕方まで自由行動だったのでメンバーは一路原爆ドームへ。そこでの受けた衝撃に大阪へ向かう車の中で全員平和について、人間について、自分について語り合う。
9/10 HANSO-DE TOUR at 大阪心斎橋 CLUB QUATTRO(「キャバレー」Produced by ちわきまゆみ氏。with/くるり、MANGA HEAD)。これがくるりとの初対バンで、ほとんどがくるりファンの中、お客さんのあたたかさにメンバー感激。思わず自分らにアンコールを送ってしまい、急遽千葉・東京ではお馴染み「DANNY」を演る(スタッフの皆様、感謝です!)。ライブ終了後、いつもならご飯を食べてすぐホテルに戻って “大富豪”(トランプ)をするメンバーが珍しく打ち上げに参加する。この時、ドラムの升とくるりのドラムの森君が仲良くなり、二人でキスをする。。。
9/12 HANSO-DE TOUR at 名古屋E.L.L.。
9/15HANSO-DE TOUR at 千葉 LOOK ツアーファイナルワンマンライブ。前売りチケットはSOLD OUT、当日券も発売と同時に即完売。SPACE SHOWER TVのカメラが入り、一部模様が放送された。「BUMP OF CHICKENのテーマ」「バトルクライ」「くだらない唄」「ノイズマン(未発表曲)」「18 years story(未発表曲)」「香港スター(未発表曲)」「とっておきの唄」「Glorius」「DANNY」「ガラスのブルース」などを演奏。この頃まではバリバリ英語詞の曲をいくつも演奏していた。
9/23渋谷 DESEO イベントライブ。(with/BUNGEE JUMP FESTIVAL、HEAD GOOD TV)
9/30QUIP MAGAZINE「オレ、ひでお 」連載スタート(3ヶ月毎月末発売)
10/3BAY-FM「ネオストリームナイト」内でバンプのコーナー「PONTSUKA」スタート!!(毎週日曜深夜4時台。5分番組)。初回からしばらくは藤原基央が一人で喋るだけの、本当にミニコーナーであった。。。
10/8大宮 HEARTSイベントライブ 埼玉県での3回目のライブ。
10/11渋谷 ON AIR WEST イベントライブ
10/23下北沢 CLUB QUE オールナイトイベント(Gash企画「Travel Air 4000」with Gash, DJ Nakamura, Gikyo, Hara-Bo )Open/Start 23:00 
10/24日比谷野外大音楽堂 イベントライブ「DRAW THE HIGH LINE 2」。初めての野音ライブ、この日の模様はSPACE SHOWER TVにて放送される。「ガラスのブルース」「リトルブレイバー」などを演奏。この頃まで増川はGibson Les Paul Studioの赤色を使用していた。
11/3BUMP OF CHICKENプロデュースイベント「 デラ!ロッチャ! 」at 下北沢 club 251(with/Syrup 16g)
世田谷区用賀にあるスタジオでPV撮影。メンバーが考えたシナリオを映像化した。
11/25 1st Maxi Single「LAMP」リリース。(ハイラインレコーズ)。初のシングル音源ながらSPACE SHOWER TV の「POWER PUSH!」に選ばれたりTVK TV「Mutoma Japan」内「VIDEO CLIP DARBY」で優勝するなど、ちょっとした「LAMP」旋風が吹く。同日夜「LAMP」リリース発売記念ライブ「大貧民」at 千葉LOOK(チケット1,500円)。この日の模様はスペースシャワーTVで放送された。
11/27「LAMP」リリース発売記念ライブ「大富豪」at 下北沢CLUB QUE。この頃もまだ英詞曲をやっていたと思われる。
12/4下北沢 GARAGE イベントライブ。(メロディオンズ企画「恋のメロメロ大捜査線」)
12/7SPACE SHOWER TV「マタハリ」出演 at 渋谷TOWER RECORD「ガラスのブルース」などを演奏
12/12ロボスコップ主催「ハッピーターン」at 下北沢club 251(with/カンパネルラ、Syrup16g)。打ち上げで「ロボスコップ最高!」と言って途中で帰る4人。(ロボスコップとは金原真理と小宮育子によるイベント企画グループ)
12/23年末スペシャル、ハイラインレコーズインストアイベント「第四回直井祭」。この日はファンを招待し、メンバー全員スーツという本物の会食をパロディしたイベント。メンバーの演奏あり、大物アーティストからのビデオメッセージありのイベントで大盛り上がりとなる。
12/25 ←NEWsyrup 16g「Free Throw」のスペシャルサンクスに”BANANA OF CHICKEN”として直井と藤原
12/31大晦日ライブイベントに出まくる。 渋谷DESEO→渋谷CLUB QUATTRO→下北沢club 251(カウントダウン)2000年問題も起こらず、一安心。

2000年

1月藤原、地元佐倉へ帰り友達とドライブに行き思い出の地を回る。この時「続・くだらない唄」の歌詞の状態になる。
1/8テレビ東京系「JAPAN COUNT DOWN」O.A。これが地上波初出演となる。直井、サングラスにマフラーという怪しい格好で怪しい喋り方をする。
1/16イベントライブ「グリーングリーン2000」at 下北沢 SHELTER(with/ビートクルセーダーズ/スニフ、Syrup16g)
2nd Album「THE LIVING DEAD」レコーディング。わずか1週間でLAMPを除く曲を全曲レコーディングする。レコーディング開始した時点で曲数が足りず、歌詞のないオケを先に録ったあとに藤原が歌詞付きの唄入れを行うという制作をする。さらにこの時期、色々なレコード会社が声をかけて来たため、マネジメント会社のLONGFELLOWがメンバーを制作に集中させるために必死に守る。
レコーディング最終日の朝。疲れ果ててスタジオで寝ているメンバー、スタッフの横で藤原が一人起きる。バラバラの曲達を一つにまとめるために「プレゼント」を書く。が、最終的に「Opening」と「Ending」として分割されて収録される
2/10ライブ at 名古屋Heart Land。*noodlesのツアー。(with/チューインガムウィークエンド)
2/12 ライブ at 大阪 MUSE HALL。*noodlesのツアー。(with the chewing gum weekend)新曲「グロリアスレボリューション」を紹介して英詩で歌ったライブレポが残る
2/14ライブ at 福岡 DRUM Be-1ライブ。*noodlesのツアー。
2/15noodlesとの同行ツアーを終え、福岡から陸路で(!)東京に向かう。noodlesとは別々の車輌だったが、滋賀のサービスエリアで休憩した際、4人でガチャポンにハマっている姿がnoodlesのスタッフに目撃される。この時の仲の良い様子は、数年後にnoodlesのブログ上で書かれるほど印象的だったらしい。滋賀からの帰り、大雪に見舞われ大渋滞にハマる
2/19イベント「SPEEDBALL」出演 at 赤坂BLITZ (with/Outlaw、East Woman、 Electric Eel Shock、Syrup16g、Jet Marie Go-Around、Huckleberry Finn、Babamania、Bungee Jump Festival、Head Good TV、Hermann H.&the Pacemakers、Kiseru、ふれあい、古明地洋哉 etc.)
2/251st Video Clip集「ビデオポキール」(VHS)リリース
2/29千葉LOOKライブ。この日は「ハ(バ)」で始まるバンド名縛りでの対バンイベント。with/ハックルベリーフィン、BUNGEE JUMP FESTIVAL
3/2下北沢CLUB QUE(ハックルベリーフィンpresents「 草加印其の一 」)ハックルベリーフィン企画の2マンライブ。対バン相手の曲をカバーするという企画があり、ハックルは「アルエ」をハックル風にカバーして客席から大合唱が起きた。一方バンプはハックルの「僕の翼」を演奏するがカバーでなく単純なるコピーであった(後に高橋DIARYにて揶揄される)。
3/6大阪バナナホール イベントライブ(FM802[BREAth THE MUSIC]主催「EGG STAND」with スナッパーズ / The Wonder Soul Style / the autumn stone)後日FM802にて演奏曲「アルエ」がラジオで放送される。
3/252nd Album「THE LIVING DEAD」リリース (HiLine Records) 
3/27「ツアーポキール 」千葉LOOK 
3/29「ツアーポキール」 仙台BEEB BASEMENT THEATER(with/fla-foa、ELEPHANT MORNINGCALL)
3/30LIVE Y at 渋谷 Club Asia (with/ PEALOUT、サリンジャー)。この日の模様は後日TV放送される。
4/1藤原、翌日に福岡ライブが控えているにも関わらずnoodlesを見に下北沢Queに行く。イベントライブ(「レッツゴー三匹」)桂田5、noodels、THE BEAT CRUSADERS、DOMINO88、マーブルダイヤモンド出演。
4/2ツアーポキール at 福岡 DRUM Be-1(Opening Act/ナナナイン)。升、生まれて初めて飛行機に乗る。BAY-FMでのレギュラー番組「バンプオブチキンのポンツカ」が20分 に拡大!時間帯も深夜3時台になる。
4/3「ツアーポキール」広島 NEO POLIS HALL(with/ハックルベリーフィン、pulltop juice)
4/5「ツアーポキール」大阪十三ファンダンゴ
4/6「ツアーポキール」名古屋 E.L.L.
4/14「THE LIVING DEAD」発売記念 インストアライブ at HiLine Records。「ベストピクチャー」「LAMP」「ナイフ」等がアコースティック編成で演奏された。藤原はサングラスを着けて歌った。ファンの合唱について「俺の前で俺の唄、歌うな。下手だったよ。」発言。
4/16「ツアーポキール」(ファイナル)at 下北沢club 251 この日、数少ない当日券を目当てにライブハウスの前に長い行列が。
4/18「LIVE SHOWER PHANTOM」at 渋谷TOWER RECORDS Be-1 Stage (SPACE SHOWER TV出演)Space Shower TVで放送される。
5/4「MUSIC DAY」 at 日比谷野外大音楽堂(2度目の野音ライブ)。この日、藤原の名言(?)「チケット死ぬ気で取ってこい」「俺らブラウン管の前で評価されたくないから」が世に放たれる
5/7渋谷ON AIR WEST イベントライブ(ハイラインレコーズpresents)
5/13「SWEEET LOVE SHOWER EXTRA」大阪城野外音楽堂。1度出演を断るも、対バン相手にTHE GROOVERSがいると知り、「THE GROOVERSが出るなら出る」ということで出演
5-7月「ダイヤモンド」「ラフメイカー」のレコーディング。藤原、書き上げたばかりの「ダイヤモンド」の歌詞をトイズファクトリーへ送付するためコンビニのFAXサービスを使用するも、コピー機に作詞ノートを忘れる(無事そのまま置いてあった)。
リハーサルスタジオ ON AIR 大久保にて通しリハーサルをおこなう。この模様はSSTVで映像化されている。
7/22大阪でのライブに向けて東京出発。途中アーティスト写真撮影の為、朝っぱらから集合していざ浜名湖へ(といっても高速の「浜名湖サービスエリア」)。晴天に恵まれすぎ、日焼けで体を赤くする。(升はより黒くなる)メンバーは 浜松に宿泊。
7/23「サマーポキール2」 at 心斎橋CLUB QUATTRO。直井の親戚も観にくる。
7/27「サマーポキール2」 at 渋谷CLUB QUATTRO 「この日、俺らメジャーに行っても何にも変わらない。だから信じてくれ」と藤原がMC。このライブにはthe pillowsの山中さわおも観に来る。
8/2藤原、スピッツのメンバーと初めて会う。下北沢CLUB QUEのスピッツ主催ライブの楽屋で草野マサムネに初対面の挨拶をする(ちなみに同じ楽屋にはシークレットゲストのくるりのメンバーもいた)。
8/7「LIVE STOCK 2000」at ZEPP 仙台
8/9「 MAJI ROCK FESTIVAL 」at ZEPP 福岡 この日ステージ上で升に誕生日プレゼントをメンバー1人ひとり渡すサプライズを行う。わずか30分のステージ時間で10分を費やす。レポあり
8/27「au サウンドマリーナ 2000」(with STALE FISH GRAB / WINO / cool drive makers / the pillows /
TRICERATOPS / AIR / SNAIL RAMP / GRAPEVINE / Sunny Day Service) at 広島観音マリーナ隣接特設会場
8/29「RUSH BALL 2000」at 難波Mother Hall (with HOFF DYLAN, SNAIL RAMP, STORM, THE GROOVERS, the pillows) 藤原は憧れのTHE GROOVERSとの共演に歓喜し、嬉しそうに彼らの機材搬入を手伝った。RUSH BALLへの出演は主催会社グリーンズコーポレーションがHIP LANDグループのため出演に至ったと推測される。
9/3「SWEET LOVE SHOWER 2000」at 日比谷野外大音楽堂。直井、40度近い高熱にも関わらずライブに出演。
9/212nd Maxi Single「ダイヤモンド」リリース。ニッポン放送で「バンプオブチキンのオールナイトニッポンR」を務める。
9/23プロポキール秋 at 千葉LOOK。ダイヤモンド発売記念ツアー開催。タイトルがプロポキールなのは「プロ(メジャー)」になったから。
9/24プロポキール秋 at 千葉LOOK バンド初の2DAYSワンマンライブ 観客の「ビッグになっても千葉LOOKでやってくれ」の言葉に「ああ、やるよ」と答える藤原 (レポを読む)
9/30プロポキール秋 at 下北沢club251 鉄柵が壊れライブを中断。MCでは高校時代の彼女の話を披露
10/1プロポキール秋 at 下北沢club251 4日間のツアーは全て即完。この時のバンプの ライブ動員数から考えると狭すぎると思う人もいるであろうこのツアー。チケットを 取れない人が溢れ、「もっと広いところでやって欲しい」「なんで今更こんな狭いところなの?」と言う声がHPの書き込みなどで沢山あがっていたが、しかしこれには 訳 があった。このライブの模様はTVK TV & SPACE SHOWER TV 「LIVE Y」とB.PASS(10/27発売)でも紹介された。
10/25升が初めてドラムセットを購入!CANOPUS(カノウプス)の緑色!今まで人にドラムを借りていた升がようやくマイドラムを購入する。緑色にした理由は「あまり使われていない色だから」とのこと。わざわざ店員に「一番売れていない色」を訊き、その色を自分といえばこの色!と世間に認知されるようにしようとしたためである。さすが升!(つまり、升は「ダイヤモンド」と「ラフメイカー」のドラムはレンタル品を叩いていたということである。)ちなみにこの日たかチューはデジカメデビューする。
11月11月はレコーディングづくし。「天体観測」「バイバイサンキュー」「Title of mine」をレコーディング
11/26BUMP OF CHICKENプロデュースイベント「デラ!ロッチャ!Vol.2」at 下北沢 club 251 (with Syrup16g) ライブ開始前にステージ上にスクリーンが掲げられ藤原と直井の攻めた絵が観客を出迎える
12/3イベント at 仙台JUNK BOX(with-YOUNG PUNCH、Syrup16g)
藤原、箱根に行く。
12/9「Magic Bus’00」at 名古屋E.L.L.(with-THE GROOVERS、モーサムトーンベンダー)打ち上げを行なった飲食店に全員の寄せ書きサインが残っている。
12/15←NEWイベント@神戸チキンジョージ(with BEAT CRUSADERS)。ビークルのライブ中、ボーカル・ヒダカトオルから「バンプは絶対、”バンプオブチキンジョージ”って言うから!」と無茶振りされ(?)、それに応えて”バンプオブチキンジョージ”と自己紹介する
12/20矢沢あい「天使なんかじゃない」完全版4巻に藤原コメント記載
12月末レコーディングやラジオのゲストなどをしていたが、年末年始は昨年の反動(?)で実家でのんびり過ごす

 

2001年

1月新曲作りとバンド練習。「天体観測」のレコーディング中に17歳の時に書いた「弱虫賛歌」という曲を思い出し、歌詞を付け足して「バイバイサンキュー」にしてカップリング曲として収録する。
1/14〜1/21「PONTSUKA!!」にくるりの3人がゲスト出演、2週連続放送。UNOをワイワイやっている様子が放送される。対バンの時期ではなくゲスト出演の経緯はかなり謎
2/4「天体観測」PV撮影(東京都狛江市 他)
2/17直井、赤坂BLITZにNUMBER GIRLとJ. MASCIS & THE FOGの対バンを見に行く。しかし財布を落とす・・・。(リンク
2/18「デラ!ロッチャ!!」at 渋谷ON AIR EAST(with/HUSKING BEE、ハックルベリーフィン)
3/10「ネオストリームライブVol.2」@渋谷AX(with/キセル、fra-foa)この日のライブの模様はBay-FMで後日放送される。
3/143rd Maxi Single「天体観測」リリース
直井、お金がないため新宿のビアガーデンでバイトをする。
3/23-4/21ツアー「スターポーキングツアーズ2001」スタート。 初日の千葉LOOKでは「いつまでもこの小さなライブハウスでやっていたことを忘れない」としてインディーズ時代にカバーしていた「Day Dream Beliver」をアンコールで演奏する。藤原のフットボールの友人が観にくる。
3/26飛行機に乗り遅れた藤原と直井、羽田空港の本屋でモーニング娘。の雑誌を購入する
ツアーの打ち上げの中でスタッフに促され新曲「ハルジオン」のサビを歌う。
メロディーフラッグ」作曲。スタッフの一人が転んで一時記憶喪失になる。
7/23-9/15全国ツアー「Surf Porkin’」スタート 「メロディーフラッグ」が未発表新曲として演奏される
8/3Rock in Japan Festival 2001」出演
9/14「Surf Porkin’」大阪府松下IMPホールにて新曲「ハルジオン」初披露
10/12直井、誕生日。藤原からは曲をもらう予定だったが、未完成ということで待つことに。。。
10/174th Maxi Single「ハルジオン」リリース
増川、藤原の家に遊びに行く。夜中テンションが上がり二人でスタジオに入る。そこで「キャッチボール」の雛形を作る
トイズファクトリーの稲葉貢一氏(現・代表取締役社長)の子供の誕生祝いに 「Stage of the ground」をピアノで作曲する
12月藤原、2ヶ月遅れで直井に誕生日プレゼントとして「ベンチとコーヒー」と手書きの歌詞カードを渡す
アルバム制作に曲が足らないということになり、藤原の趣味で作っていたインストゥルメンタル曲を「ダンデライオン」として楽曲化する
12/30アルバム「jupiter」レコーディング終了

2002年

1/5アーティスト写真撮影
1/11メロディーフラッグ」PV撮影(千葉県犬吠埼)
藤原「ロストマン」の歌詞を考える(完成は9ヶ月後)。
1/26FM NORTH WAVE Presents「NBQ」at ZEPP SAPPORO (with NUMBER GIRL / くるり) 
1/28「ポキレツ珍百科」 at 赤坂BLITZ with/くるり、MO’SOME TONEBENDER
1/30FM AICHI PRESENTS「COLLABORATION 807」at 名古屋ダイヤモンドホール (with/くるり、MO’SOME TONEBENDER)
2/1「HFM 20th anniversary DEAD STOCK BBQ」広島CLUB QUATRO (with/くるり、MO’SOME TONEBENDER)
2/2「ポキレツ珍百科」 at ZEPP OSAKA with/SUPER BUTTER DOG、MO’SOME TONEBENDER
2/4「LIVE FUTURE FLAVA」at ZEPP FUKUOKA with/くるり、MO’SOME TONEBENDER
2/203rd Album「jupiter」発売。同日夜、新宿リキッドルーム「LIVE JAPAN vol.16」にシークレット出演 (with/ GOING UNDER GROUND、AIR)。さらに終了後、ラジオ生出演
3/23-4/22全国ツアー「POKISTA21」開催
4/25シークレットライブ「ポキールチャンネル (ポルノバージョン) 」at 千葉LOOK メジャーデビューしてから初めて「BUMP OF CHICKENのテーマ」を演奏する。
5-6月ツアーが終わり、それぞれ休みを取る。藤原は旅行に行く(家族と友人と)。奄美大島でダンエレクトロのエレキや三味線を買う
6月藤原、ひとりで曲作りに5泊6日の2回目の奄美大島旅行へ。ボロボロのホテルで水道管の修理をしながら、シーケンサーで「ロストマン」のオケを完成させる。CD屋で「jupiter」を買う
syrup 16gのスタジオに遊びに行った藤原、「水色の風」のコーラスに参加する
8/7 – 8/23バンプ主催の対バンツアー「B.O.C presents BAUXiTE page1」(with/syrup16g, ハックルベリーフィン, BURGER NUDS)3都市を回り、川崎、高知でのバンプ初ライブ。
8/10「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2002」出演。メンバー、桑田佳祐に写真を撮ってもらう(画像
8/25「PONTSUKA!!」にsyrup16gがゲスト出演
8/28「800 AIR FESTIVAL」at 赤坂BLITZ 出演
9/1「RUSH BALL 2002」at 神戸ポートアイランド 出演
9/7沖縄「HOT BORDER 2002 “OKINAWA COOL CAMP”」でバンプ初の沖縄ライブ。ステージ終了後のチャマ「次はモンパチ!」
9月「ロストマン」の歌詞完成。同月、「スノースマイル」と「ホリデイ」も書く。
10月増川、下北沢での知人のライブにギターで参加
12/3-21全国ツアー「LOVE&PORKIN」開催。このツアーでは「ホリデイ」が初披露(しかもツアーでこの1回のみ!)されたが、同曲が初めてのカポ使用曲(2カポ)である。ツアー本数が少ないのは増川の学業に支障がないようにという配慮であるが、直井はもっとやりたい感じだった
12/5LOVE & PORKIN at ZEPP FUKUOKA。藤原、軽く感電する。「リトルブレイバー三日月版」を披露
12/9大阪を歩いていると翌日ライブに参加するファンに「バトルクライ」をリクエストされる。リクエスト通りライブで演奏する
12/18スノースマイル」リリース。同日、「LOVE & PORKIN」をZEPP札幌にて行う。ライブ後、ラジオ番組に生出演のために再度ステージに立つ。観客を入れ替える形でこの日2回目のライブが行われ「スノースマイル」(この日2度目の演奏)と「リトルブレイバー」を披露する
12/28「ハイラインナイト Vol.5」シークレット出演 at 下北沢Club Que。完全告知なしのシークレット出演で、セットチェンジの時に升は深く帽子を被りドラムチューニング。4人(直井だけ白、他3人黒)ともBURGER NUDSのTシャツを着て登場。久しぶりの下北沢でのライブに直井「BUMP OF CHICKENと言います。名前だけでも覚えて帰ってね!」。会場の下北沢Club Queは最前列に柵がなく、一番前の観客達はステージに倒れこむ形でライブが続く。そして抜け出す時はステージ上を横切るというありえない環境でのありえない盛り上がり。

2003年

1/17藤原、THE GROOVERS「SETZNA」コメント寄稿 (リンク)
2/28ZEPP TOKYOで映画「ワンピース デッドエンドの冒険」試写会ライブ。主題歌「sailing day」を初披露
3/8「SPACE SHOWER Music Video Awards 03」授賞式 & ライブ at 日本武道館。武道館初ライブ。スノースマイルとメロディーフラッグの2曲を披露。
3/12「ロストマン/sailing day」リリース。初の両A面シングル
5/13 – 6/15全国LIVE TOUR「NINJA PORKING」を開催。6/8の青森クオーターでのライブで藤原は突然「Opening」を披露する。最初で最後の同曲披露である。
5/20神戸チキンジョージ公演。「Title of mine」の静かなイントロ中に歓声が勢い付き演奏中断。「嬉しいんだけど、アルペジオに命懸けてっからさ」と藤原
6/2「NINJA PORKING」ZEPP OSAKA公演。この日、終盤の「スノースマイル」演奏前の機材トラブルまでMC一切なしで進める”理想のライブ”(藤原談)。機材トラブルとは藤原がインディーズから使い続けていた”ギターソロ”用のイコライザー(BOSS GE-7)が故障し音が出なくなったことである。代用品として”ブースト”として使用していたBOSS BD-2を”ギターソロ”として配置、友人が製作した無名のエフェクターを”ブースト”として配置し後半のツアーを回る。
ツアー終了後から夏にかけてバンドの関係が疎遠になる。増川の学業とバンド活動の平行がうまくいかず、技術的にも3人に置いていかれている状況に新曲の制作から外される。
増川が藤原の自宅に遊びに来ている時、藤原が「embrace」を書く
藤原、「同じドアをくぐれたら」を書く
8/3 – 8/31 夏のイベント出演
8/9「SETSTOCK’03」(広島県)出演。登場SEが流れる中、舞台袖でリストバンドをつけていないことに気づいた藤原、急いで楽屋まで取りに帰る。演奏後、HYのメンバー全員がバンプの楽屋を訪れる。夜の打ち上げではDragon Ash、ACIDMAN、ビバッチェらとファミコンの話で盛り上がる
8/16「RISIN SUN ROCK FESTIVAL 2003」にて未発表曲「embrace」を初披露する
9月直井、自身初のカスタムオーダーベース Sonic Jazz Bass Chama Blue (水色・初号機) 完成
9/9増川 川崎のTOWER RECORDの壁にサインする 
藤原、髪を赤く染める(ほとんどメディアに露出していない)
「embrace」「同じドアをくぐれたら」のレコーディング at 一口坂スタジオ。増川はこの2曲のレコーディングに不参加
「オンリーロンリーグローリー」のプリプロ録音を行う。タイトルが決まっていない段階にスタッフに聞かれ「(タイトルはまだ)ないんです」と答えたつもりが「ナイン」という仮題で保存される
藤原、「レムを書く。そしてレムをバンドの曲として発表するか悩んでいた時、アコギをジャカジャカ弾きながら「車輪の唄」を一晩で書く。そして「車輪の唄」のドラムをどう叩けばいいかわからなくなった升、藤原に電話する
11/27太陽」の制作中、藤原はギターの弦を張り替えながら鼻歌を歌い「ギルド」の1番を思い付く
12/20藤原、増川の誕生日に「fire sign」を贈る。その日にエレキギターでプリプロ音源を制作。

 

2004年

(この時点でテイルズオブジアビスの主題歌制作のオファーが来ている)
 Everlasting lie」を藤原一人でアコースティックバージョンを再録する
3/317th Maxi Single「アルエ」リリース
4/11 – 12 藤原、誕生日前日の夜から誕生日の朝にかけて、「オンリーロンリーグローリー」の歌詞を書き上げる
「オンリーロンリーグローリー」をシングル化する話になり、カップリングを書くよう求められて「乗車権」を書く。が、曲の主張が強すぎて急遽アルバムに収録することに。
4/28 ハイラインレコーズ時代の作品を「FLAME VEIN+1」「THE LIVING DEAD」「ビデオポキールDVD版」として、トイズファクトリーより再リリース
5/6ヒゲポーキン at 渋谷 Tower Records B1F スタッフがメンバーに相談なくライブ名を決めたため、ステージ上で藤原が「フェニックスポーキン」と命名
5/29FREE LIVE at 佐倉市民体育館。公演後に楽屋で招待者への挨拶を行うも無断写メの嵐に藤原は心の中でブチギレていた。また藤原の父親が初めて見にくる予定だったが、ライブ後に携帯で「行けない」との連絡。やり遂げた感と「またか・・・」という面持ちで実家に帰ったら父親が「K?あれ良かったな」とどういうわけか見ていたようで安心する。
藤原、「睡眠時間」を書く
6〜7月「ユグドラシル」完成
7月藤原、「ユグドラシル」のジャケットの絵を描く
7/78th Maxi Single「オンリー ロンリー グローリー」リリース
7/8東京都調布市野川公園にて「B-PASS」撮影
7/16トイズ会議室にて「PAUSE」取材 – 2004年9月号 vol.135
7/25藤原、「PONTSUKA!!」にて”増川のチビ(子供)が…”という冗談を発した後に空気をボカす
7/28夏フェス、秋のツアーで初めてイヤモニを着用するためにロングフェローが特ラ機構に入会する
8/5FLAME VEIN 韓国発売記念ライブ」ソウル SOUND HOLIC。バンド初の海外公演。アンコールで「fire sign」を初披露。前列のファンに間違って水をかけられてしまう藤原
8/6前日のライブを観たファンからソウル駅の階段を上がっているときに下から声をかけられる。階段上がってきなと声をかけるメンバー
8/7韓国「釜山インターナショナルロックフェスティバル」出演。海水浴場周辺でのフェス
8/14「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2004 in EZO」北海道石狩湾新港樽川ふ頭野外特設ステージ 出演
8/18「TREASURE 052 with ZIP-FM ~rainbow surprise~」名古屋市立体育館レインボーホール 出演
8/25 4th Album「ユグドラシル」リリース 
8/28「SET STOCK ’04」広島県国営備北丘陵公園 出演
8/29「RUSH BALL 2004」神戸ポートアイランド内芝生エリア メガkobe 出演
 秋から始まるツアーに向けて12回ほどスタジオリハーサルを行う。藤原は当初風邪で来れず3人でアレンジをしたりしていた
9月藤原、自身初となるカスタムギター Sonic Stratocaster Black (黒・ストラト・ローズウッド指板) 完成
9/16the pillows トリビュートアルバム「SYNCHRONIZED ROCKERS」に「ハイブリッドレインボウ」で参加
9/17 – 12/1233箇所40公演におよぶ全国ツアー「MY PEGASUS」「PEGASUS YOU」開催
9/22ツアーの間を縫って「夢の飼い主」のレコーディングを行う (翌日の福岡公演にてMC)
12/18th Maxi Single「車輪の唄」をリリース
12/10幕張メッセにてゲネプロを行う、会場付近のホテルに宿泊する
12/11TOUR FINAL “PEGASUS YOU” at 幕張メッセ初日 この日の様子はNHK-BS1「スーパーライブ」の撮影が入る。初の幕張公演ワンマンメッセであったが、藤原は自分たちの演奏に納得が行かず、公演後に楽屋で「1対1の演奏じゃなきゃダメなんだよ」とブチ切れていた。ちなみに脇腹を痛めて起きた朝はi-modeで盲腸について調べる・・・。
12/12TOUR FINAL “PEGASUS YOU” at 幕張メッセ2日目 ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文がライブを見に来る。サラリーマン時代に聴いた「天体観測」で感動したという後藤は2001年頃にもライブを観ている。
12/19LIVE at 韓国ROLLING HALL  韓国のバンド NO BRAINのボーカルが楽屋に遊びに来る
12月後半怒涛の1年をこなし、バンドは長い冬休みをもらう

 

2005年

2月藤原、秋田に家族と出かけてなまはげを見る。帰京後、「プラネタリウム」を書く
3月増川、直井、升の3人が「カルマ」を練習していた時、藤原がスタジオにやって来る。3人の前でアコースティックギターを持ちプラネタリウムを1コーラス歌い、メンバーに初披露。「プラネタリウム」のプリプロ作成
 藤原、「銀河鉄道」を一晩で作曲する
6/26神奈川県厚木市子ども科学館で「プラネタリウム」PV撮影。増川は前日友人とベロベロに酔っ払うまで飲んでおり、そのまま撮影に向かったため前日と同じ服装のまま撮影した
7/2110th Maxi Single「プラネタリウム」リリース
7/24「SET STOCK ’05」出演(広島県)
夏〜秋藤原、「カルマ」のカップリング用として「supernova」を書く
8/5「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2005」出演(茨城県)
8/10“BUMP OF CHICKEN LIVE AT PLANETALIUM” at 愛・地球博ささしまサテライト会場内「COSMO ZONE THEATER」。増川、コメント出演した愛知のTV番組に「塩川」と表記される
8/28「RUSH BALL 2005」出演
9月藤原 カスタムギター機材 Sonic Stratocaster Black (黒・ストラト・メイプル指板) 完成
9/3「The Tag of Rock’n Roll 2005」出演(沖縄県)
9/8メンバー、ゲーム映画「FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN」試写会 @VIRGIN TOHO シネマズ 六本木ヒルズ SCREEN7に参加する。この時、芸能人がたくさん集まるプレミア席の中の端っこで萎縮しながら観た。この時、ゲームプロデューサー野村哲也氏と知り合い、後日食事に連れて行ってもらう
10/14六本木ヒルズアリーナにて「supernova」のPV撮影を行う。藤原、すれ違ったおばさま達に「ほら、あの人、韓国俳優じゃない?」と言われる
11/23 11th Maxi Single「supernova/カルマ」リリース
11/24「カルマ」PV撮影、終了は翌日朝であった
12/1412th Maxi Single「カルマ/supernova」リリース

 

2006年

1/13-3/5初の全国ホールツアー 「run rabbit run」開催
1月直井のベース機材 Sonic Jazz Ice Blue Metallic  (メタル) 完成
2/11バンド結成10周年。福岡マリンメッセ公演にて「BUMP OF CHICKENのテーマ」を披露(メジャーデビュー後4年ぶり2度目)
3/5「run rabbit run」代々木第一体育館 (追加公演) にて「ギルド」PVを撮影
3/11「BUMP OF CHICKEN LIVE in SEOUL」 韓国ソウル三成繊維センター
3/22藤原ソロアルバム「SONG FOR TALES OF THE ABYSS」リリース
トイズファクトリーで打ち合わせ中、長い地震が起こる。スタッフに「藤原、何か歌え!」と言われて未完成だった「涙のふるさと」のサビを歌う
8/8藤原、コンビニに行こうと玄関を開けた瞬間、恐怖を覚えるほどの夕焼けを見る。「真っ赤な空を見ただろうか」を書く
9月直井のベース機材 Sonic Sting Ray Bass Mat Black (黒・スティングレイ) 完成
9/201st 映像作品「人形劇ギルド」リリース
藤原、「ハンマーソングと痛みの塔」を書く。自宅にて升、直井の前で披露する。増川は電波の届かない練習スタジオにおり連絡がつかなかったらしい
藤原、「才悩人応援歌」を書く
10月旧多摩市立西落合中学校にて「涙のふるさと」PV撮影
11月藤原、カスタムギター Sonic Les Paul Special Type (SLP-S) 完成
11/2212th Maxi Single「涙のふるさと」リリース
12月藤原、「飴玉の唄」を書く

 

2007年

年初バンドのプリプロを行う。「飴玉の唄」はバンド全員でアレンジを考えながらプリプロ作業をした。レコーディング前の「才悩人応援歌」「ハンマーソングと痛みの塔」のプリプロも行われた。
1月引き続きバンドリハーサル。藤原は自宅で作曲、3人がリハーサルを行う時もあった。
2月「飴玉の唄」プリプロ作成。直井が急性胃腸炎のため藤原が仮ベースを録音する
3/13「ハンマーソングと痛みの塔」のベースとドラムのレコーディング。しかしドラム録りがうまくいかず、次の日のギター録りの予定を押すことになる。
3/14改めて「ハンマーソングと痛みの塔」リズム隊のレコーディング
4/12藤原、誕生日にエレクトリック・シタールを贈られる
4/13藤原、早速エレクトリック・シタールの音を録音する(朝まで)
 藤原、リズム遊びの打ち込み曲から「メーデー」を作る
7/7藤原、「花の名」を書く。藤原が当時ディレクターのMORを自宅に呼び、曲を聴かせる。MORが「アルバムタイトル考えた?」と質問することで藤原はようやくアルバムを意識するようになる。その時答えたのが「orbital period」であった。*ラジオでは「東京賛歌」を書いたと話している
7/16「HIGH LINE RECORDS 10th ANNIVERSARY ~10年目の夏~」 ZEPP TOKYO にシークレット出演
7/22「SET STOCK ’07」出演 
 夏フェス出演の合間に「メーデー」「花の名」「東京賛歌」「ガラスのブルース~28 years around~」をレコーディング
7/28「HIGER GROUND 2007」 出演
8/4「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2007」出演。同イベント初のトリを努める。アンコールで藤原が「はじめてのチュウ」を弾き語り
8/18「RISING ROCK FESTIVAL 2007」 出演
9/1「SWEET LOVE SHOWER 2007」出演
夏フェス明け時空かくれんぼ」「ひとりごと」「arrows」のレコーディング
10月某日かさぶたぶたぶ」を一口坂スタジオ Stuido 3にてレコーディング。深夜3時までかかる
10月某日「voyager」と「flyby」をレコーディング
10/17FM802「DESIGN THE NIGHT」SPECIAL LIVE ~ICON-TACT~ at なんばHATCH。出演後、大阪のうどん屋で打ち上げをしているときにスタッフから「アルバムのジャケットどうする?」と尋ねられる。藤原は酔っ払いながら、紙と鉛筆を借りてロゴマークを書いてそれをジャケットにしようと決める。ブックレットのストーリーの話も出る。ホテルの部屋に戻り、メモ帳に絵や文字を書き連ねる。
10/18アルバムに向けてジャケットデザイナーと打ち合わせ。A5の紙3枚に書いたラフを見せる。
10/19「SCHOOL OF LOCK! LIVE TOUR”YOUNG FLAG”」at ZEPP TOKYO
10/2413th Maxi Single「花の名」、14th Maxi Single「メーデー」リリース
10/27升、「Let’s play sports」のレコーディングを行う。同曲は暫くお蔵入りとなり2012年「firefly」に収録されることになる
12/10藤原単独で「BUMP LOCKS!」の収録(オンエアーは翌年のため「ツアーの感想は?」という問いに対して「(その質問は)無意味です」と回答する)
12/195th Album「orbital period」リリース

2008年

1/10-2/13ライブハウスツアー「ホームシック衛星」開催
1/10ツアー初日。藤原の友人である岡田義徳がライブを見にくる。ちなみにこの日のアンコールで4年ぶりに「グングニル」(アンコールでは披露したことがない曲)を演奏。レアな選曲であり、岡田か他のゲストからのリクエストがあったのかもしれない…
1/18ツアー@秋田スウィンドル。この日こっそりRADWIMPSのボーカルの野田洋次郎が見にくる。そして野田はスキーをして帰る。
2月直井のベース機材 Sonic HSB Mat Orage (オレンジ・5弦ベース) 完成
2/10長崎公演。12周年(イブ)だと観客に告げられ、急遽「BOCのテーマ」を演奏。演奏はボロボロだった…。(メジャーデビュー後2年ぶり3度目の披露)
2/13ツアーファイナル岐阜公演。3日前のリベンジを果たすべく、練習して「BUMP OF CHICKENのテーマ」を演奏する。(メジャーデビュー後3日ぶり4度目の披露)
2/23-7/5ホールツアー「ホームシップ衛星」スタート。初日幕張メッセは強風のため1時間開演を遅らせる。アンコールでは予定にない「K」を演奏して観客へのプレゼントとした。そしてこの日も俳優の岡田義徳が見にくる。
6/181st coupling album 「present from you」リリース
6/21韓国単独ライブ「B.O.C. LIVE IN SEOUL」開催(韓国MelON AX)
6/25直井がベーシストとして参加したcharaのアルバム「honey」リリース
8/1ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2008」出演
升がスタッフとともに富士登山をするという情報を聞きつけた藤原、別のスタッフと一緒に追いかけることにする。早朝、藤原は先回りして頂上で升を驚かそうとするも「あ、来たんだ」と普通の対応をする升にがっくりする。
9/11藤原、御茶ノ水にある楽器店に行きサインを書く
秋~冬藤原、「HAPPY」「セントエルモの火」をほぼ同時進行で書く
秋~冬藤原、(上記2曲より少し遅れて)「66号線」を書く

 

2009年

4/9-10藤原、「魔法の料理~君から君へ~」を書く
4/15藤原、「モーターサイクル」を書く
藤原、「キャラバン」を書く
作曲がうまくいかない藤原に対し、プロデューサーのMOR(森徹也)が曲作りのスタジオに誘う。藤原は意地で前日に「透明飛行船」を書き上げる。
6月藤原、「宇宙飛行士への手紙」を書く(お題:四つ打ち)
直井と藤原、他の友人と一緒に海外旅行(アイルランド)に行く。藤原にとってはプライベートで初めての海外旅行であった。
藤原、「angel fall」を書く(お題:ゴスペル)。ちなみに丁度藤原もゴスペルっぽい曲を書きたいと思っていた時期であり、偶然リクエストとイメージが重なった。
8/7藤原、「(please) forgive」を作曲。(お題:ジャカジャンっていう曲)もともと携帯の中にあった歌詞に曲をつけた。バンドのレコーディングもスムーズに行われるが、収録時間の理由により6th Album「COSMONAUT」への収録は見送られる。5年後の7th Album「RAY」で初お披露目されることになる。
8月藤原、「分別奮闘記」「R.I.P」を書く(お題:シングル曲)
(この間) 藤原、次回シングル曲のカップリングとして「Merry Christmas」を作曲(お題:クリスマスソング)
9月藤原、「R.I.P.」プリプロ制作の翌日にスタジオで「ウェザーリポート」を書く。その場にいた升に1コーラス聞かせリズム構築を任せることにする
 「R.I.P.」PV撮影(長野県諏訪市旧清掃センター)。前日深夜2時に帰宅、翌朝5時集合というハードスケジュールで全員眠かった。増川は一睡もできなかったにもかかわらず、藤原と2人でPSPをずっとやる(しかもロケ場所に着くまで!)
9/27Dragon Ash ボーカル・降谷建志とタレント・MEGUMIの結婚式にBUMP OF CHICKENのメンバーが参加。二次会の余興ではACIDMANと一緒にステージに上がり長渕剛「乾杯」を演奏。その後、フットボールアワー・岩尾望をボーカルで尾崎豊「I LOVE YOU」を演奏する(バンプとACIDMANはバックバンドとして演奏)
11月藤原、「good friends」を作曲
11/3「Merry Christmas」PV撮影
11/2515th single「R.I.P./Merry Christmas」リリース。隠し曲の「new world サミット」は、のちの藤原主要コードのひとつとなるGonFが初めて使用された曲。
年末メンバー全員で藤原宅に集まり酒を飲みながらDVD観賞をする。観た作品はマイケルジャクソン、The Ed Sullivan Show、映画ドラえもん・のび太と鉄人兵団などを観る。ドラえもんに4人で感動していると、まさか翌年同作品のリメイク新作版の主題歌のオファーが来ることに(!)

 

2010年 

1月直井のベース機材 Sonic Jazz Bass Chama Yellow (黄色)  完成
2月藤原、「イノセント」を作曲
2/15弦一徹ストリングス「魔法の料理〜君から君へ〜」「pinkie」レコーディング(画像
 4/10シークレットライブ「BUMP OF CHICKEN SECRET」を六本木ヒルズアリーナで開催する。事前に抽選で当選した2000名の参加者のみに会場が案内されていた。「HAPPY」のPV撮影も兼ねていたが「R.I.P.」「魔法の料理〜君から君へ〜」のライブ初披露も同時に行なっている。「supernova」のPV撮影の際は楽器から音が出ていなかったが、今回はきっちり生音で演奏されていた
4/1416th single「HAPPY」リリース 「HAPPY」「THE LIVING DEAD」「ユグドラシル」のCDジャケットは繋がっている…
4/2117th single「魔法の料理~君から君へ~」リリース
5月直井のベース機材 Sonic Jazz Bass Chama Pink (ピンク)  完成
7月藤原、「morning glow」を作曲。第二段階のデモテープ(バンドのデモテープ)を録音しようとするが、曲のノリがうまく出せず、3年間デモの段階で寝かせることになる。
藤原、「beautiful glider」を作曲
7/27「good friends」のリズム隊レコーディングを行う。藤原は1時間遅刻して一口坂スタジオへ到着。升のドラム録りに対して3人が叱咤激励する。藤原「技術ではなくまだ曲に入れていない」直井「体力にも気をつけて」増川「ダメだと思ったらテイクの途中でやめることも大切」。最終的に「ホリデイ」のドラムの話題にまで遡りリズムを議論するメンバー。直井はわずか40分でベース録りを終える。この日、COCCOやGRAPE VINE、奥田民生のプロデューサーである根岸孝旨氏が現れる。藤原と機材貸し借りの約束をする。升は打ち込みを使用する予定だった「angel fall」のドラム録りを志願するもうまくいかず、断念。
7/28「good friends」のウワモノのレコーディング。藤原がアコースティックギター・エレキギター・スライドギターを録音する。4人で輪になり手拍子の録音も行う。升は昨日の「angel fall」のドラム録りを再開。足に鍼を刺しながらのレコーディングをする。打ち込みサンプリング用の様々な素材を録音し、エンジニアの牧野”Q”英司氏がその場で編集して組み合わせていく。藤原がブラシでコンガを叩く。何も考えず思いつきでアレンジをしていくのが藤原流。夜12時にレコーディングが終了した。昼飯は鰻。
 藤原、曲作りスタジオの近くを散策し美味しい蕎麦屋を発見しメンバーと食べに来る
 増川、地元の花火大会を見に行く。友達が教えてくれたスポットから見たらとても大きく見えた(印旛沼花火大会は10月開催のため、8月7日の佐倉市花火大会だと推定)
夏~秋SQUARE ENIXから「FINAL FANTASY 零式」主題歌のオファーが届く
9/22「モーターサイクル」MV撮影 深夜2:00を過ぎても撮影は続く・・・
10/1318th Maxi Single「宇宙飛行士への手紙/モーターサイクル」リリース
藤原、増川と「beautiful glider」のギターについて打ち合わせをしている際中に「三ツ星カルテット」を書きはじめる。
 藤原、スタジオ横の会議室で「友達の唄」を書く。映画ドラえもんの書き下ろしということでのび太のことを考えながら作曲をした。
11月六本木の大平貫之プロデユース「スカイプラネタリウム」に招待される
12/15 6th Album「COSMONAUT」リリース
12/28サザンクロス」のファーストデモ制作

 

2011年

1/20頃FF零式の書き下ろしとして「ゼロ」を書く
2/2319th single「友達の唄」リリース
夏〜秋「グッドラック」制作
10/19 21st single「ゼロ」リリース
12/5-ライブハウスツアー「BUMP OF CHICKEN TOUR 2011-2012 GOOD GLIDER TOUR」開催

 

2012年

1/7 – 31年をまたいでライブハウスツアー「GOOD GLIDER TOUR」開催
1/2822nd single「グッドラック」リリース
4/7 – 7/14アリーナツアー「BUMP OF CHICKEN TOUR 2012 GOLD GLIDER TOUR」開催。この日のライブから「恥ずかし島」と呼ばれるサブステージでの演奏が始まる 
5月藤原、「firefly」を書く。その後アスティとくしまでのライブで観客に報告
6/23「MVA VMAJ 2012」レッドカーペット登場 、「ゼロ」を演奏する
7/10フジテレビ「息もできない夏」放送開始。「firefly」が主題歌に起用される
7/14 ツアーファイナル宮城公演。リハーサルで「firefly」を演奏するもこの日のステージ演奏は断念
ツアー終了後、カップリング曲として「ほんとのほんと」を作曲&レコーディング
9/2223rd single 「firefly」リリース
ライブ映像作品「BUMP OF CHICKEN GOLD GLIDER TOUR 2012」に収録される「ガラスのブルース」と「Let’s Play Sports」(隠し映像)のライブレコーディングと撮影
11月藤原、「虹を待つ人」を作曲
11/13藤原、「ラストワン」作曲

 

2013年

2/13white note」作曲
3/6初のライブ映像作品「BUMP OF CHICKEN GOLD GLIDER TOUR 2012」リリース
4/10トーチ」のデモ音源を録る
5/17直井の新機材 Sonic TJB-373C (7号機)が完成
7/3初のベストアルバム「BUMP OF CHICKEN Ⅰ<1995-2004> 」「BUMP OF CHICKEN Ⅱ<2005-2010> 」の2作品をリリース。選曲はスタッフ中心によるもので、メンバーは制作活動を続行する
7/8 ←NEW成田ゆめ牧場にて「虹を待つ人」のジャケット撮影、カメラマンは蜷川実花
7/29藤原、風呂上がりに「ray」を書く
8/3「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2013」に出演
8/9ベストアルバム発売記念ライブ」 at QVCマリンフィールド 開催。YouTubeにて生中継配信
8/21虹を待つ人」配信リリース
9/9-10/29全国ツアー「WILLPOLIS」スタート 開催
夏-秋「WILLPOLIS」期間中を含めて「ラストワン」「morning glow」「トーチ」のプリプロ制作やレコーディングを行う
10/26-27「ray」レコーディング(ストリングスパート)
10/28-10/29「WILLPOLIS」最終公演を日本武道館にて開催。MCにてアルバム「RAY」のリリースを発表し新曲「ray」を初披露する
12/28「FM802 Rock Festival RADIO CRAZY 2013」出演
12/30「COUNT DOWN JAPAN 13/14」出演

 

2014年

1/19「ray」レコーディング(ボーカルパート)
3月直井、カスタムベース機材 Fender Jazz Bass 完成
藤原、肺気胸により入院。予定していた「Live at Studio Coast」を7月に順延
4/7 – 7/3015都市20公演におよぶ全国ツアー「BUMP OF CHICKEN TOUR 2014 “WILLPOLIS 2014”」開催
5/24「WILLPOLIS 2014」アスティとくしま公演にて「天体観測」阿波踊りバージョンを披露
6/10TOKYO FM系列「SCHOOL OF LOCK」生出演
6/11藤原、スタジオで「You were here」を作曲する
6/13宮城移動日
6/30初となる台湾ライブ「BUMP OF CHICKEN Live in Taiwan 2014」開催
7/14「Live at Studio Coast」at 新木場Studio Coast ※3月の振替公演
7/17直井、「You were here」のベース録り
7/18藤原、「You were here」のボーカル録り
7/25テレビ朝日系「MUSIC STATION」生ライブに初出演。これが地上波初パフォーマンスとなった。チャマはカメラに向けて足を蹴り出したところ、「カメラマンが足を伸ばし続けてくれ!」と目で訴えてきたので思わず足を伸ばし続けた。
7/26写真家・蜷川美花との打ち合わせ。WILLPOLI 2014 FINAL 東京ドーム公演でsmile演奏中に流す特別映像の完成版を試写した。午後2時過ぎから芝浦スタジオでライブリハーサル(ゲネプロ)を行う。升はツアーTシャツ「RAY」を着ながら演奏する。ちなみに升は31日のファイナル本番も「LITTLE BRAVE」Tシャツを着てドームに来る
7/31「WILLPOLIS 2014 TOUR FINAL」としてバンド初となる東京ドーム公演を行う。この日、新曲「You were here」をアンコールにて初披露。早速メロ変えまでしてしまう。
8/1配信限定Single「You were here」リリース
10/18横浜Land Mark Studioのレコーディングスタジオに入り、升と藤原がフロアタムを叩きレコーディング。ベースもレコーディング(おそらく「ファイター」のレコーディング)。 写真
10/22パレードのMV撮影を行う @boc_chama
10/23 John Butler Trioのライブに4人で行く 画像
11/28配信限定シングル「ファイター」リリース
11/29配信限定シングル「パレード」リリース 
11/30藤原基央、俳優の新井浩文とデート 画像

 

2015年

2/23~25 早稲田大学付近のAVACO CREATIVE STUDIOでレコーディング
3/18初回限定版シングル特典であるスタジオライブ映像の収録を行う
4/5藤原と仲の良いデザイナー下鳥直之氏とタレント・安田美沙子氏の結婚式にメンバーで参加。(後日、TV番組「ダウンタウンDX」にて当初2曲演奏する予定だったが泥酔した和田アキ子の指示により1曲に減らされたエピソードが明かされる)
4/22 24th single「Hello,world!/コロニー」 リリース
藤原、スタッフに許可なく曲作りのためのスタジオがスケジュールにぶち込まれる。”腑に落ちねえ”と思いながらも断る理由もなく、7月中旬までアコースティックギター1本での曲作りに励む
7/22THE GROOVERS アルバム『Groovism』に藤原基央がコメント寄稿(現在は削除)
7月下旬 BUMP OF CHICKEN SPECIAL LIVE 2015 や夏のイベントのライブリハーサルを開始。藤原、この時までに「宝石になった日」「GO」「Butterfly」「大我慢大会」「孤独の合唱の5曲を書きあげる
 藤原、夏のイベント後に「流星群」を書く (この時まだ6曲のアルバム曲をメンバーは一度も聴いていない)
10月藤原とスタッフ、「GO」の弾き語りデモテープをメンバーに聴かせる
12/31COUNTDOWN JAPAN 15/16」出演。新曲「Butterfly」をライブ初披露
「NHK 第66回紅白歌合戦」に出場、幕張メッセより「ray」を生中継する

 

2016年

2/6芝浦スタジオにて「20」リハーサル最終通し
2/9千葉幕張メッセにて「20」ステージ設営開始
2/11BUMP OF CHICKEN 結成20周年記念Special Live「20」
3/14音響打ち合わせ
3/18藤原、スタジオにて全国ツアー用の同期SE、オープニングSE「BFLY」を制作
3/24芝浦スタジオにてBFLYリハーサル(初日)
4/1芝浦スタジオにてBFLYリハーサル
4/2芝浦スタジオにてBFLYリハーサル
4/3リハ休み
4/4芝浦スタジオにてBFLYリハーサル(最終日)
4/8大阪京セラドームにてBFLYのゲネプロを行う
4/9〜5/22初の全国スタジアムツアー「BUMP OF CHICKEN STADIUM TOUR 2016 “BFLY”」開催
5/22「宝石になった日」MV撮影(BUMP OF CHICKEN STADIUM TOUR 2016 “BFLY” 福岡ヤフオク!ドーム公演)
6月藤原、「アリア」を書く。そのままレコーディングへ。
6/8東京都渋谷区内で「宝石になった日」MV撮影(メンバーカット)
6/22増川、「アリア」のギター・レコーディング [Twitter]
藤原、「アンサー」を作曲。
7/16〜17追加公演「BUMP OF CHICKEN STADIUM TOUR 2016 “BFLY” FINAL」 開催 at 横浜日産スタジアム
8/17「アリア」配信リリース
12/21「アンサー」配信リリース

 

2017年

1月-2月藤原、「リボン」「流れ星の正体」「ジャングルジム」「記念撮影」を書く。
 「ジャングルジム」作曲後、バンドアレンジが湧かず寝かせる。
1/28 – 30 新曲「流れ星の正体」のデモ音源を3日間限定で公開
2/10午後11:45より「リボン」のスタジオライブをインターネット生配信。Abema TV、スペシャアプリ、YouTubeの三元同時配信を行う。・・・が、放送された音源は生演奏ではなく事前レコーディングしたものをアテフリした可能性がある。
4/19メンバー4人でColdplayのライブを東京ドームに観に行く
5/1配信限定シングル「リボン」リリース。そしてアリーナツアー発表&公式SNSアカウント発足という発表づくめの1日となった。
5/24増川、2カポの曲をレコーディングする Twitter@boc_chama
6/17THE GROOVERSの記念ライブにビデオメッセージを贈る
8/29芝浦スタジオでゲネプロ
9/16全国ツアー 「BUMP OF CHICKEN TOUR 2017-2018  PATHFINDER」16箇所28公演  スタート
10/8-9直井、「TOUR PATHFINDER」静岡エコパアリーナ公演にて1人アコースティックギターを抱えてダブルアンコールに応え、弾き語りを披露(1日目ビヨンセカバー「XO」2日目「彼女と星の椅子」)
12月藤原、「シリウス」を作曲。「Spica」を書き始める。

 

2018年

1月中旬藤原、「Spica」の1コーラスのみのデモテープ作成
1月下旬藤原、インフルエンザ罹患。TOUR PATHFINDER 福岡マリンメッセ公演が順延になる
2/11TOUR PATHFINDER さいたまスーパーアリーナ公演のアンコールにて「Spica」を弾き語り初披露。増川、升、直井の3人もこの日初めて「Spica」を聴く
「シリウス」のバンドアレンジを行う
3/18TOUR PATHFINDER 福岡マリンメッセ公演。藤原、「Spica」を弾き語り披露するも間違って2カポ装着したまま披露する
藤原、「話がしたいよ」の作曲開始
4~6月藤原、残りを書き上げて「Spica」を完成させる 
7/3「シリウス」MV撮影 at 都内スタジオ。スタジオにはMVで使用されていないFender製ストラトキャスターやGibson J-45などが用意されていた。「シリウス」は5弦ベースの曲だが直井が弾いているのはなぜか4弦ベース
7/23望遠のマーチ」配信リリース
7/31「望遠のマーチ」MV撮影 at 都内スタジオ。凧揚げのシーンで1人だけ上がらない升、メンバーにいじられる
8/8マスタリングエンジニア前田氏が「話がしたいよ」の作業を開始 [Twitter]
増川、Fender Jazz Masterを使用して「話がしたいよ」のギターREC [instagram] ※投稿日時は10月だが映画制作側への納期を考えると夏頃に撮られた写真だと思われる。当時の未発表曲で3カポでGsus4コードを使用する楽曲は「話がしたいよ」以外にないためである。
10/3「話がしたいよ」MV撮影 at IMAGE STUDIO 109 (目黒スタジオ)。撮影中はリップシンクではなく本気で歌ってしまう藤原、屋上で歌うシーンで恥ずかしくなる
10/17藤原と直井、天王洲アイルに寺田倉庫にてn.hooly woodのファッションショーに招待される。かしゆか (perfume)、宮本浩次(エレファントカシマシ)、川谷絵音(ゲスの極み乙女)、大木伸夫(ACIDMAN)なども同席。
11月新世界」のレコーディングを渋谷Bunkamura Studioにておこなう
11/14トリプルA面シングル「話がしたいよ/シリウス/Spica」リリース
12/28COUNTDOWN JAPAN 18/19」出演。ステージでの時間が余ったため急遽「ガラスのブルース」を演奏する

 

2019年

2/17「Aurora」MV撮影 at 静岡県中田島砂丘。終日撮影後、全身砂だらけになるメンバー
3/15「Aurora」配信リリース
3月次作アルバムタイトルが「aurora arc」に決まる
7/109th Album「aurora arc」リリース
7/12-11/4全国ツアー「BUMP OF CHICKEN TOUR 2019 aurora ark」開催
8/10ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019」出演
11月以降ポケモン「GOTHA!」のタイアップオファーが入る

 

2020年

3月下旬都内にてレコーディング
7月中旬「Flare」デモ制作
7月下旬藤原、NHKの朝ドラ制作チームと打合せ
8/23藤原基央、「PONTSUKA!!」にて一般女性との結婚を報告
8/24公式HPにて藤原の結婚を発表 (現在は削除)
9/10「Gravity」配信リリース
9/11ROCKIN’ ON JAPAN 11月号の取材を受ける (藤原) 
9/18直井由文、週刊文春に不倫をスクープされ妻子がいることを所属事務所が認める
9/25直井由文のバンド活動休止、しばらくは直井を除く藤原、増川、升の3名でBUMP OF CHICKENの活動をする旨を公式HP発表 
9/29BUMP OF CHICKEN × ポケモン スペシャルMV「GOTCHA!」に書き下ろし曲「アカシア」を提供
9/30「アカシア」配信リリース
11/4映像作品「TOUR 2019 aurora ark TOKYO DOME」とフィジカルCD「アカシア/Gravity」リリース
 藤原、「Flare」のデモ音源をメンバーに聴かせる。バンドによる制作へ(ベースは藤原が担当)

 

2021年

1月年を跨いで「Flare」のレコーディングを行う
2/11結成25周年を迎えた午前0時に「Flare」配信リリース & MV公開
2/27NHK「SONGS」に出演。「アカシア」「Flare」など4曲を披露
5/17「なないろ」配信リリース(NHK 朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」主題歌)
6/6直井、BUMP OF CHICKEN 復帰を発表(翌AM3:00「PONTSUKA!!」出演)
9月藤原、「Small world」を書く
10月藤原、「クロノスタシス」を書く
10/24藤原、地元の臼井にて「Small world」のMV撮影
11/1「Small world」を配信リリース(『映画 すみっコぐらし 青い月夜のまほうのコ』主題歌)
11/14スタジオライブ『BUMP OF CHICKEN Studio Live Silver Jubilee』を限定配信。「アカシア」「Hello, world!!」「Flare」「Small world」「サザンクロス」の5曲を披露
12/22パッケージシングルCD「なないろ」リリース
12/31「第72回NHK紅白歌合戦」に出場(2回目)、「天体観測」「なないろ」を演奏

 

2022年

2/10-2/11「BUMP OF CHICKEN LIVE 2022 Silver Jubilee at Makuhari Messe 02/10-11」(幕張メッセ)が新型コロナウイルス感染症の影響により延期
3/25「天体観測」リリースから21年、空間オーディオ対応で再レコーディングした「天体観測(2022 Rerecording Version)」をApple Musicで配信リリース
4/11クロノスタシス」配信リリース(映画「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」主題歌)
7/2-7/3BUMP OF CHICKEN LIVE 2022 Silver Jubilee at Makuhari Messe 02/10-11」振替公演。未発表曲「木漏れ日と一緒に」を初披露
8月アニメ「ダンジョン飯」のタイアップオファーが来る(未返答)
8/11ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2022」出演(千葉移転後初出演)
10/24〜12/13全国ライブハウスツアー「BUMP OF CHICKEN TOUR 2022 Silver Jubilee」開催
11月NHK「BUMP OF CHICKEN 18祭」収録予定(放送日未定)であるが、藤原基央のコロナ罹患により延期
11/4藤原基央、新型コロナウイルス罹患
12/11メンバー会議。「ダンジョン飯」のタイアップを受けるか迷っていた藤原だが升の一言でオファー受けることに
12/21映像作品「映像作品「BUMP OF CHICKEN LIVE 2022 Silver Jubilee at Makuhari Messe」とシングル「SOUVENIR」をリリース(藤原コロナ罹患により延期)

 

2023年

2/11〜4/20BUMP OF CHICKEN TOUR 2023 be there」開催
3/21NHK「BUMP OF CHICKEN 18祭」番組収録。18歳世代の1000人のコーラス出演者とともに新曲「窓の中から」を演奏。撮影現場ではメンバーから「天体観測」「花の名」の2曲がサプライズ演奏された。
4/1「窓の中から」配信リリース
4/2テレビ朝日系「関ジャム『完全燃SHOW』」にてBUMP OF CHICKEN特集。藤原基央の映像インタビューを放送
4/5シングルCD「SOUVENIR」、映像作品「BUMP OF CHICKEN Live at Makuhari Messe」同時リリース
5/24映像作品「BUMP OF CHICKEN TOUR 2022 Silver Jubilee at Zepp Haneda(TOKYO)」リリース。同梱のPHOTO BOOKに「BUMP OF CHICEKN」と誤表記されてしまう。
5/28オフィシャルアプリ「be there」ローンチ。
7-9月「Sleep Walking Orchestra」制作作業
12/11「Sleep Walking Orchestra」配信リリース
12/25クリスマス動画として「赤鼻のトナカイ」をSNS公開

 

2024年

2/11〜4/20「BUMP OF CHICKEN TOUR ホームシック衛星2024」開催
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